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筑波山知足院中禅寺の境内を示す常陸国筑波山下画図

Tsukubasan Chisokuin Chuzenji Temple

筑波山神社のいわゆる仁王門(随神門)

筑波山神社のいわゆる仁王門(随神門)の豊木入日子命(とよきいりひのみこと)

 知足院中禅寺の社殿は、筑波集落の北東部にある東山地区にあったが、三代将軍家光の時代に、そこよりやや西の現在の筑波山神社の位置に移され、この図のような本堂(大御堂 おおみどう)、迎来橋(神橋)、仁王楼門、鐘楼、三層塔(三重塔)、経蔵、春日社などの境内社をはじめとする多くの堂舎が造られた。 同時に筑波山頂には山頂神社も造られた。

 明治新政府の神道国教化政策に基づいて行われた廃仏毀釈運動によって、知足院中禅寺は徹底的に破壊され、残ったのは神橋、仁王門、境内社だけである。 鐘楼は近くにある泉観音に移設され破壊を免れた。 仁王楼門は随神門と名を変え、その両袖に居た仁王像に代わり、日本武尊(やまとたけるのみこと)と豊木入日子命(とよきいりひのみこと)の像が入るという異様な眺めである(上の写真)。

図は国立国会図書館蔵
参考:西谷隆義(2012):『霊峰筑波山と徳一大師--知足院中禅寺と筑波山神社--』、 (財)茨城県郷土文化顕彰会刊

テーマ 43. 個性豊かな筑波山-その2: 裾野も楽しい筑波山 P.6、P.13 の資料)

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