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44. お勧め! ミニトリップ・イン・横浜

横浜モデルコース地図

ミニトリップ・イン・横浜 モデルコース

Model course of minitrip in Yokohama







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 新型コロナ禍が下火になった 2023 年初春の一日、横浜在住の友人に案内してもらってミナトヨコハマを巡った。 船とバスとウォーキングの絶妙な組み合わせで、能率的に横浜の良さに接することができた。 長年高校で教鞭をとられた地理の先生ならではのコース設定である。 以下は、先生お勧めのモデルコースの紹介。

基図:Mapion




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ミニトリップ・イン・横浜 1 /20
横浜の水上バス、シーバス

横浜の水上バス、シーバス(SEA BASS)

Water bus in Yokohama, SEA BASS












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 「シーバス」という愛称で呼ばれる横浜の水上バスは「横浜駅東口」・「山下公園」両のりばを結ぶ定期船である。 直行便と途中の「ハンマーヘッド」と「ピア赤レンガ」という二つののりばに立ち寄る便がある(2023 年時点では、「山下公園」のりばの改修工事のため、「ピア赤レンガ」までの運行)。 地下鉄?みなとみらい線なら 10 分以内、230 円で行けるところを、15~20分、700~1000 円かけて行くのには、それに見合う観光価値が認められるからであろう。 この写真は帷子川(かたびらがわ)河口部にある「横浜駅東口」のりばへ接岸態勢に入ったシーバス5号である。 「シーバス」は普通なら「海」sea の「バス」bus であるが、ここではそうではなく、sea bass、すなわち魚のスズキ(鱸)という釣り人に人気のある高級魚を意味している。 この魚のように河口部の淡水域と海水域を行き来するからだという。 ただし、船の形は精悍なスズキとは似ても似つかずで、平たくて強いて言うならヒラメかカレイ。 向こうに見えるみなとみらい大橋などの橋桁があまり高くないので、背の高い船は通れないからであろう。

参考Web: シーバス公式Web

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 27 58.69, +139 37 35.18 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 145°

PanoraGeo-No.668




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ミニトリップ・イン・横浜 2 /20
海から望む横浜みなとみらい21

海から望む横浜みなとみらい21

Yokohama Minato Mirai 21 seen from the sea












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 横浜の水上バス(シーバス)に乗って海に出ると、横浜の再開発地域みなとみらい21を一望できる。 写真左端部にはよこはまコスモワールドの大観覧車が見える。この遊園地がある新港地区もみなとみらい21再開発地域の一部である。 その右からこの再開発地域の中核である中央地区になる。その海沿いにあるのは複合コンベンション施設パシフィコ横浜で、 半月形のヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル、会議センター、国際会議場の横浜国立大ホール(俯いた壁面が暗い陰になっている)および 横に広くひろがる平屋建ての展示ホールが並んでいる。 写真中央部やや奥には、高さ 296m、73 階建ての超高層複合ビル横浜ランドマークタワーがあり、右寄りには高さ 100m のビルの上に 150m の通信塔を配した NTT の横浜メディアタワーがある。 みなとみらい21の造成は、1983年に始まった大規模な都市再生事業である。 (参考資料:地理院地図で見るミナトヨコハマの今とむかし

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 27 46.15, +139 38 29.58 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 232°

PanoraGeo-No.669




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ミニトリップ・イン・横浜 3 /20
シーバスの窓から見える北防波堤(北水堤)の赤灯台

シーバスの窓から見える北防波堤(北水堤)の赤灯台

Red Lighthouse on the North Breakwater seen from the SEA BASS (water bus) window












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 横浜の水上バス、シーバスに乗り、洋上からみなとみらい 21 の近代的な街並み景観を堪能したあと反対側の窓に目をやると、古い横浜港の面影に出会える: 写真中央にある小さな赤い灯台は 1896 年(明治 29 年)から現在まで、横浜港の変遷を見守り続けてきた歴史的記念物である。
 この灯台は 1889 年7月から 1896 年5月にかけて行われた横浜築港第一期工事の産物である。 この工事では右の図に示すような施設が建設された:現在の瑞穂埠頭の位置から南へ伸びる北防波堤(北水堤)、現在の山下埠頭付近から北に伸びる東防波堤(東水堤)、鉄骨製の大桟橋、および帷子川の土砂で港が埋まるのを防ぐ導水堤などである。 北防波堤の先端には赤灯台、東防波堤の先端には白灯台が設置され、その間の水面が横浜港の入口になった。 港湾の防波堤灯台の色は、入港する船から見て右が赤、左が白と決まっている。 赤灯台(正式名称は横浜北水堤灯台)はこの写真のように現在でも健在であるが、白灯台は 1958 年に外国船が衝突して破損、その後復元されたものが氷川丸の横に移設・保存されている。 なお、第一期工事の設計と現場監督を行ったのは、日本初の近代的水道である横浜水道をつくったイギリス陸軍の工兵少将ヘンリー・スペンサー・パーマー(Henry Spencer Palmer)である。

参考文献: 寺谷武明(1975):横浜築港の経緯

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 27 37.14, +139 38 35.82 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 92°

PanoraGeo-No.670

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ミニトリップ・イン・横浜 4 /20
横浜港新港埠頭のハンマーヘッドクレーン

横浜港新港埠頭のハンマーヘッドクレーン

Hammerhead Crane at Shinko Pier (New Port Pier) in Yokohama Port












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 ハンマーヘッドクレーンは、新港埠頭の建設(1899~1917 年)中の1914 年に完成した日本最初の港湾荷役用クレーンである。 新港埠頭の岩壁とこのクレーンの完成によって、それまでの艀(はしけ)による沖合の船との人力の荷役から、接岸した船との間での電動クレーンによる重量物の荷役へと変わった。 同時期に同様のクレーンが5基イギリスから輸入されたが、長崎、佐世保、呉、横須賀などに導入されたものは海軍が造船用に使用するものであった。 横浜のクレーンは強固な基礎の上に設置されていたため、 1923 年の関東大震災でも被害を免れた。 1970 年以降、海上貨物のコンテナ化が進につれ、船荷の積み下ろしは本牧埠頭や大黒埠頭などへ移って行き、ハンマーヘッドクレーンは、2001 年、88 年間の役割に幕を閉じた。 日本における大型クレーンによる荷役の先駆けである点や耐震技術の高さなどの点が評価され、2018 年には、「横浜港ハンマーヘッドクレーン」として土木学会選奨土木遺産になっている。

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 27 23.08, +139 38 37.54 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 289°

PanoraGeo-No.671





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ミニトリップ・イン・横浜 5 /20
横浜ベイブリッジの向こうに大黒埠頭遠望

横浜ベイブリッジの向こうに大黒埠頭遠望

Distant view of Daikoku Pier beyond the Yokohama Bay Bridge












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 横浜新港埠頭沖から東方を望むと、横浜ベイブリッジとその向こうに大黒埠頭(だいこくふとう)が見える。 横浜ベイブリッジは首都高速湾岸線の橋で、横浜港に入る航路を跨いで架かっている。 全長 860m、船舶の航行を配慮して橋の中央部底面は海面から 55m と高くしてある。 二本の塔からのワイヤーで橋桁を直接支える斜張橋というタイプの橋である。 ベイブリッジの手前の海面に横たわる黒い線状のものは、南方の山下埠頭から延びる東防波堤(東水堤)である。 東防波堤の先端付近に赤い灯台が見えるが、これはこの防波堤に立っているのではなく、ベイブリッジのやや向こうにある外防波堤のもので、右の塔の基部に見える白い灯台と対になって横浜港の今の入口を示している。
 大黒埠頭は本牧埠頭と並び、現在の横浜港で最も取扱い量が多い埠頭である。 横浜港では初の島式埠頭で、1977 年に一部供用開始され 1990 年に完成した。貨物主体の埠頭であるが、ベイブリッジをくぐれないような大型クルーザーも接岸する。 写真でベイブリッジの左の塔基部に接して見えるかまぼこ型の建物はその際に使う旅客ターミナルである。 2020 年、新型コロナ禍の発端になったダイヤモンド・プリンセス号もこの岸壁に接岸していた。

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 27 15.72, +139 38 47.16 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 88°

PanoraGeo-No.672





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ミニトリップ・イン・横浜 6 /20
海上保安庁巡視船が碇泊する新港埠頭四号岸壁

海上保安庁巡視船が碇泊する新港埠頭四号岸壁

No.4 Berth of the Schinko Pire where Japan Coast Guard patrol boats stay












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 横浜港と諸外国との貿易が盛んになると、大さん橋だけでは手狭になってきた。 そこで横浜築港第二期工事が計画され、1899 年から 1917 年にかけて工事が進められた。 こうして誕生したのがハンマーヘッドクレーンや赤レンガ倉庫がある新港埠頭である (資料:関東大震災被害復旧直後の新港埠頭 *1)。 大正から昭和 10 年代にかけては北米航路やヨーロッパ航路などのターミナルとして賑わい、連日のように華やかな客船の出港風景が繰り広げられた。 とくに新港埠頭四号岸壁は北米航路の専用岸壁として使われ、浅間丸、龍田丸、秩父丸などの日本を代表する花形客船がその巨体を横づけしていた。
 現在、新港埠頭の南東側の突堤(右突堤)は海上保安庁の横浜海上防災基地になっており、その四号岸壁と五号岸壁には大小の巡視船が係留されている。 この日の四号岸壁には巡視船あきつしま*2)が接岸していた。 2013 年竣工、長さ 150m、総トン数 7350トン(排水量 約6500トン)の世界最大級の巡視船で、2機のヘリコプター搭載が可能。ソマリア沖の海賊対策などを考えての建造なので航続距離は2万海里(約37000㎞)以上ときわめて長い。 かつては、これより一回り大きい氷川丸(長さ 163.3m、総トン数 11622トン)などの外航客船がこの岸壁にこのように接岸し、出航して行ったのである。

*1) 出典:関東の土木遺産--横浜港新港埠頭 関東大震災復興岸壁群(Web)
*2 )巡視船あきつしま(Web)

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 27 22.46, +139 38 51.35 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 235°

PanoraGeo-No.673




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ミニトリップ・イン・横浜 7 /20
赤レンガパークから見える横浜三塔

赤レンガパークから見える横浜三塔

Three Towers of Yokohama seen from Aka-renga Park (Red Brick Park)












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 写真中央やや左、ビルの谷間にある通りは、横浜港から内陸の関内駅へ伸びるみなと大通りであるが、この通り沿いには塔を持つ建物が三つあり、横浜三塔と呼ばれている。 海岸に近い方から、横浜税関の塔、神奈川県庁本庁舎の塔、横浜市開港記念館の塔の三つである。 高いビルが少なかった昭和期には、横浜港に入る船の船員が海上から最初に目にするのがこれらの塔で、それを見た船員たちは「ああ、横浜に来たんだなぁ」と感じたそうである。 船員たちはトランプかチェスになぞらえて、各塔に、クイーン、キング、ジャックという愛称をつけている。
 i)写真右手の横浜税関の塔はイスラム寺院風の水色のドームが特徴で、愛称はクイーン。 写真左端付近にあった旧庁舎が 1923 年の関東大震災で倒壊し、1934 年に現在地に再建された。 ii)写真左手に見える濃い茶色の神奈川県庁は、洋風建築に和風の瓦屋根をかけるという帝冠様式の建物で、五重塔などと同じ宝形(方形、ほうぎょう)屋根や相輪を持つ塔屋がある。 やはり震災で壊れた旧庁舎の建て替えで 1928 年に完成、愛称はキング。 iii)ジャックという愛称の横浜市開港記念館の塔は、写真中央部、みなと大通りの右側に見えるはずであるが、現在改修中。 足場や覆いで囲まれていて、最先端のボールがわずかに見えるだけである(改修中改修前のジャック)。 1917 年に竣工、関東大震災では内部が燃えたが建物の倒壊は免れた。 赤煉瓦の外壁に花崗岩の横帯を巻いた美しい姿の再来は 2024 年3月の予定である。
 なお、東京に次ぐ人口の神奈川県にとってこのアンティークな5階建ての本庁舎だけでは当然手狭すぎる。 みなと大通りに架かる白い跨道橋(写真中央)で繋がった新庁舎をはじめ、東庁舎、西庁舎ほかいくつかに分かれて業務を行っている。

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 27 3.90, +139 38 40.56 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 216°

PanoraGeo-No.674




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ミニトリップ・イン・横浜 8 /20
横浜新港埠頭の赤レンガ倉庫(1)

横浜新港埠頭の赤レンガ倉庫(1)

Aka-renga(Red Brick)Wearhouse in Shinko Pier, Yokohama (1)












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 赤レンガ倉庫は新港埠頭の付属施設で、輸入手続きが済んでいない物資を一時的に保管する保税倉庫として2棟建設された。 写真左が 1913 年完成の一号倉庫、右が 1911 年完成の二号倉庫である。 両倉庫とも三階建て、長さ 149m、幅 22.6m という同じ規模であったが、左の一号倉庫は 1923 年の関東大震災で中央部3割ほどが崩壊したため、海側(手前)の半分だけが残されている。 また、両倉庫ともこちら側が正面(表側)で、鉄道の引き込み線があり、貨物の積み下ろしに便利なようにプラットフォームが設けられていた。 数か所ある三角屋根の部分だけは4階建てのようになっている。 この4階部分には当初クレーンの機械が据えつけられていたが、関東大震災で破損したため撤去された。
 第二次世界大戦直後はアメリカ軍に約 10 年間接収されていた。収集解除後の 1956 年からは、一号倉庫は税関倉庫、二号倉庫は公共の上屋として港湾倉庫の役割に復帰した。 しかし、1960 年代以降、海上輸送のコンテナ化が急速に進んだが、新港埠頭はそれに対応できないため、赤レンガ倉庫の取扱量は減り続け、ついに 1989 年、80 年間にわたる港湾倉庫としての役割を終えた。

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 27 9.18, +139 38 38.20 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 255°

PanoraGeo-No.675




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ミニトリップ・イン・横浜 9 /20
横浜新港埠頭の赤レンガ倉庫(2)

横浜新港埠頭の赤レンガ倉庫(2)

Aka-renga(Red Brick)Wearhouse in Shinko Pier, Yokohama (2)












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 赤レンガ倉庫のプラットフォームがある正面(表側)とその反対の背面(裏側)では、大いに雰囲気が異なる。写真は一号倉庫の背面であるが、鉄骨造りのベランダが付いていて、倉庫というより優雅なホテルという感じである。 二号倉庫も同様である。また、この倉庫には当時としては最新の設備が施されていた。ベランダの一部に立つ二つの塔は日本最初の貨物用エレベーターで、崩壊前の一号倉庫には3基、二号倉庫には2基あった。 写真遠方の塔にはオーチス社製のエレベーター機器が保存されている。 このほか、避雷針、防火水栓(スプリンクラー)、防火扉なども備えられ、倉庫の防火対策は万全であった。
 1989 年に使われなくなった赤レンガ倉庫とその土地は、1992 年に横浜市が国から譲り受けた。 横浜市は保存活用のために倉庫の改修を行った後、「港の賑わいと文化を創造する空間」をコンセプトに、「横浜赤レンガ倉庫」という名の文化商業施設をオープンした。 一号倉庫の1号館はホールや展示スペースを備えた文化施設、2号館はレストランやショップなどが揃った商業施設になっている。

参考web:横浜赤レンガ倉庫の歴史横浜赤レンガ倉庫のひみつ

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 27 7.23, +139 38 38.59 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 294°

PanoraGeo-No.676




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ミニトリップ・イン・横浜 10 /20
横浜港駅(よこはまみなとえき)の線路とプラットホーム

横浜港駅(よこはまみなとえき)の線路とプラットホーム

Tracks and platform at Yokohama-minato (Port of Yokohama) Station












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 横浜新港埠頭の南東側の突堤(右突堤)には、1982 年(昭和 57 年)まで、東海道本線貨物支線(横浜臨港線)の横浜港駅が存在していた。 この突堤は、現在では海上保安庁の横浜海上防災基地(写真正面の建物など)になっているが、突堤の基部にはこの駅の線路とプラットホームの一部が残されている。 写真中央やや左に見えるプラットホームは長さ 30m 少しであるが、元のものは 140m ほどあり、現在の防災基地の中にまで伸びていた。

 この駅の前身は 1911 年(明治44年)に開設された横浜税関内の荷扱所である。 1920 年に正式の駅に昇格し、四号岸壁から北米航路の船が出航する日には、東京駅からここまで船車連絡列車(ポートトレイン、岸壁列車)2往復が運行された。 写真の乗客用のプラットホームができたのは関東大震災復興期の 1928 年(昭和3年)で、海外航路時代の全盛期を迎えつつある時期である。
 右の図を参考にして、当時の状況を想像してみよう: 写真の右上隅に見える白いマストは巡視船「あきつしま」のものなので、そこが当時外航客船が接岸した新港埠頭四号岸壁である(6ページ参照)。 その左にエプロンと旅客ターミナルが入った四号上屋(うわや)があり、さらに左にこの写真の線路とプラットホームが並んでいたわけである。

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1928 年当時の四号岸壁とプラットホーム

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 27 12.06, +139 38 34.44 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 25°

PanoraGeo-No.677





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ミニトリップ・イン・横浜 11 /20
横浜市営周遊バス「あかいくつ」

横浜市営の周遊バス「あかいくつ」

Yokohama Municipal Excursion Bus "Akaikutsu"












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 「あかいくつ」は、観光客をおもな対象とした横浜市営の路線バスである。 市民向けでないことは、高齢市民の敬老パスでは乗れないことからも明らか。 昔の路面電車をイメージしたレトロ調のデザインが特徴。 桜木町駅を起点に 20 分おきに出て、ハンマーヘッドクレーン、赤レンガ倉庫、中華街、港の見える丘公園、マリンタワー、山下公園、大さん橋などミナトヨコハマの人気スポットを回って桜木町に帰る。 1回乗車は 220 円均一料金であるが、500 円の「みなとぶらりチケット」、正式には「横浜ベイエリア1日乗車券」を使えば一日何回でも乗降できる。 観光客に人気があり、この日も平日なのに超満員だった。 横浜開港 150 周年(2009 年)を記念して走り始めたので、どの車両もナンバーはこの写真と同じ 150。

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 27 10.73, +139 38 32.55 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り  7°

PanoraGeo-No.678




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ミニトリップ・イン・横浜 12 /20
横浜中華街大通りと善隣門

横浜中華街大通りと善隣門

Yokohama Chinatown Avenue and Zenrin-mon Gate












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 日本の三大中華街である横浜中華街、神戸南京町、長崎新地中華街の中で最も大きい横浜中華街の目抜き通り、中華街大通りには、新型コロナ禍が一段落した 2023 年3月中旬、以前のような賑わいが戻ってきた。 大学などが春休みに入ったからであろうか、若者たちが多い。
 写真中央奥に、この通りの西の入口に立つ善隣門が見える。 牌楼(ぱいろう)と呼ばれるこのような門は横浜中華街には 10 基あるが、そのうちで最初にできた牌楼である。1955 年(昭和 30 年)に初代が出来、1989 年に現在のものに改築された。 黒地の額にある金文字は「親仁善隣」。隣の家の人や隣国と仲良くする「善隣友好」の願いが込められている。 門の反対側の額には「中華街」の文字がある。それまでは唐人街とか南京街などと呼ばれていたこの街が、これによって「中華街」に統一されるようになった。
 道の右側にある看板「萬珍樓」は 1892 年(明治 25 年)開店の広東料理店のもの。 1887 年に開店した聘珍樓(へいちんろう)が新コロナ禍の不景気などのために閉店した結果、萬珍樓がこの中華街で最古の料理店となった。

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 26 35.98, +139 38 42.25 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 347°

PanoraGeo-No.679




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ミニトリップ・イン・横浜 13 /20
山下公園とホテルニューグランド

山下公園とホテルニューグランド

Yamashita Park and Hotel New Grand












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 山下公園は 1923 年の関東大震災で生じた大量の瓦礫を海岸に埋め立て処理した結果できた公園で、日本最初の臨海公園である。1930 年(昭和5年)に開園した。 第二次世界大戦後は占領軍の住宅地として使わていたが、1954 年から少しずつ返還され、公園として整備されてきた。 写真は海岸沿いに約 800m と細長いこの公園の中央部にある「未来のバラ園」のパーゴラ(pergola、日陰棚)で、柱にはバラの蔓を這わせてある。春バラの盛りの5月から6月にかけてはバラのトンネルになる。
 山下公園のバラ園に面して5階建てのホテルニューグランド(本館)がある。 この辺には関東大震災で以前 14 もの外国人向けのホテルがあったが震災ですべて倒壊、横浜市のホテル建設計画に従ってこのホテルが最初に建設され、1927 年(昭和2年)に開業した。 終戦後マッカーサー元帥が厚木に到着後横浜に直行してこのホテルに宿泊した。 戦後7年間はGHQに接収されていた。この横浜最古のホテルで評判が高かったのは最新式設備とフレンチスタイルの料理。 ドリアやスパゲッティナポリタンなどの料理はこのホテルが発祥地である*1)

*1) ホテルニューグランド発祥の伝統料理

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 26 45.60, +139 39 0.36 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 192°

PanoraGeo-No.680




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ミニトリップ・イン・横浜 14 /20
国指定重要文化財、日本郵船氷川丸

国指定重要文化財、日本郵船氷川丸

Nnational important cultural property, Nippon Yusen Hikawa-maru












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 氷川丸は日本郵船社がシアトル航路用に建造した貨客船で、1930 年(昭和5年)に横浜船渠株式会社(現在の三菱重工)にて竣工した。 長さ 163.3m、総トン数 11622 トン。当時としては最新鋭の大型ディーゼル機関を搭載、外板には通常より厚い鉄板を用い、船底を二重にし、万一の浸水に備えてスライド式水密扉で 10 の水密区画ができるようにするなどの安全性の高い設計がなされている。 重要輸出品であった絹製品のために、水密で内装に木板を貼った専用倉庫もあった。 戦争中は海軍の病院船となり、終戦までに3回も触雷したが沈没を免れ、終戦直後には復員船・引揚船として活躍、戦後は貨客船に戻り 1953 年にシアトル航路に復帰した。 1960 年に引退するまでに、太平洋横断 254 回、2万5千人余りの旅客を運んだ。 1961 年より山下公園前に係留保存され、ユースホステル、レストラン、ビアガーデンなどとして親しまれた。 リニューアルが終わった 2008 年以降、観光施設「日本郵船氷川丸」になっている。
 また、以下の理由から 2016 年に国指定の重要文化財に指定さた。 「・・・本船は当時における先進の造船技術を導入して国内にて建造された貨客船であり、海外との輸送手段を貨客船が担っていた時代、及び戦中戦後の激動の時代において、社会・経済史上に大きな役割を果たした。 戦前期に多数建造された外洋航路船の現存唯一の遺存例として、近代交通史上、造船技術史上などに貴重である」*1)

*1) 文化庁:国指定文化財等データーベース、氷川丸
参考Web: 日本郵船氷川丸HP

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 26 48.69, +139 38 55.76 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 97°

PanoraGeo-No.681




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ミニトリップ・イン・横浜 15 /20
再開発が待たれる山下埠頭

再開発が待たれる山下埠頭

Yamashita Pier awaited redevelopment












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 写真中央には横浜ベイブリッジがあり、左端には鶴見つばさ橋の2本の塔が見える。ともに首都高速湾岸線の橋である。
 その手前の水面に接して山下埠頭が横たわっている。米軍が占領している瑞穂埠頭の代替用に、1953 年から 10 年をかけて造成された。 しかし、本牧埠頭(1969 年に一部供用開始)や大黒埠頭(1977 年に一部供用開始)など外延部に大規模な埠頭ができたことや、1970 年代以降の貨物のコンテナ化が進んだことから、在来貨物用につくられた山下埠頭の貨物取扱量は漸減した。 完成時当初の 1966 年には273 万トンだった貨物量は 2016 年にはわずか 14 万トンになってしまった。 このような状況から、横浜市は 47 万ヘクタールある山下埠頭全域の再開発を模索するようになり、当初はカジノを含む統合型リゾート施設(IR 施設)の建設が検討された。 しかし、2021 年の選挙でカジノの誘致に否定的な市長が当選したため再開発計画は白紙に戻り、2023 年現在、市は IR 施設に代わる新たな再開発案を検討中である。
 これに先立ち再開発の準備は始まっており、貨物の荷造り・仕分け・保管などを行う上屋(うわや)などの撤去が始まっている。 写真中央やや左に見える薄緑色の建物(4号上屋)の右にも左にも手前にもあった建物はすでに姿を消して寂しい景観になってきた(参考:山下埠頭の変化)。

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 26 50.31, +139 38 52.90 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 75°

PanoraGeo-No.682




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ミニトリップ・イン・横浜 16 /20
赤い靴はいてた女の子の像

「赤い靴はいてた女の子」の像を囲んで(^^♪

Surrounding the monument of song "Akaikutsu haiteta onnanoko"(girl with red shoes)












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 山下公園にはたくさんの記念物や記念碑がある。 最大の記念物は何といても「氷川丸」、最古の記念物は氷川丸のそばに保存されている「旧横浜東水堤灯台」(東防波堤にあった白灯台)。 記念碑には「リカルテ将軍記念碑」、「咲いたさいた桜が咲いたの碑」、「日米友好ガールスカウトの像」、「かもめの水兵さんの歌碑」、「横浜サンディエゴ姉妹都市提携二十五周年記念碑」、「西洋理髪発症の地碑」、「インド水塔」、そしてこの「赤い靴はいてた女の子の像」などがある。
 「赤い靴」は野口雨情作詞、本居長世作曲の童謡で、2番に、「横浜の埠頭(はとば)から 船に乗って・・・」と、横浜港が舞台なのでこの像がある。 この日、 若者の人出が多い山下公園であったが、ひと組の高齢者のグループがこの像を囲んでいた。・・・と、やおらグループの一人が楽譜を配って、みんなで歌い始めた。♪あかいくつー はーいてた おんなのこー・・・♪、さぞかし横浜の良い思い出になることでしょう。

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 26 49.63, +139 38 53.42 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 251°

PanoraGeo-No.683




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ミニトリップ・イン・横浜 17 /20
横浜港大さん橋国際客船ターミナル

横浜港大さん橋国際客船ターミナル

Osanbashi Yokohama International Passenger Terminal












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 横浜港大さん橋(おおさんばし)の前身は、横浜築港第一期工事(1889-1896 年)の産物で、1894 年(明治 27 年)に竣工した。当時は「鉄桟橋」と呼ばれた。 関東大震災による陥没、第二次世界大戦後の進駐軍による接収など波乱の歴史を経てきた。 1964 年に東京オリンピックに合わせて先代のターミナルが完成、2002 年にこの写真にある今の国際客船ターミナルができた。
 この新ターミナルは、世界 41ヵ国から 660 の作品の応募があった国際コンペで選ばれたもので、曲線を描くシルエットで統一されたユニークな二階建て建築物である。 駐車場になっている1階、出入国ロビー、船客待合場所、ショップ、レストラン、イベントホールなどがある2階、および屋上からなるが、それら相互間は階段ではなくスロープで行き来できる。屋上は起伏に富んでいて芝生まであり、まさに屋上公園。横浜ベイブリッジやみなとみらい 21 などの眺めもよい。 写真で茶色に見える屋上デッキには、そのような眺めを楽しむ人影が点々と見える。このターミナルの屋上は、このような形から「クジラの背中」と呼ばれている。

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 26 47.28, +139 38 58.26 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 344°

PanoraGeo-No.684




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ミニトリップ・イン・横浜 18 /20
横浜港大さん橋国際旅客ターミナル入口付近の木の歩道

横浜港大さん橋国際旅客ターミナル入口付近の木の歩道

Wooden walkway near the entrance of Osanbashi Yokohama International Passenger Terminal












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 2002 年に完成した現在の横浜港大さん橋国際船客ターミナルの特徴のひとつは、ハードウッドをふんだんに使って建てられているいることである。 ハードウッドとは、主に熱帯に分布する広葉樹から作られた堅くて重く耐久性がきわめて高い天然木のことである。 写真はターミナルの2階および屋上へ通じるボードウォーク(木の歩道)であるが、ここで使われているハードウッドはブラジルのイペーという木からのものである。 このターミナルでは屋上の送迎デッキのほか、このようなスロープや階段、壁にまでイペー材が使われている。 新しいイペー材は黄褐色~赤褐色であるが、雨や紫外線に当たると徐々にこの写真のような銀白色~灰色に変色する。 イペー材は腐りにくくシロアリなどの害虫にも強いので、防腐剤や防虫剤なしでも 30 年くらいは十分もつという。 イペーの木には咲く花が黄、赤紫、白などいろいろな種がある。黄色の花のイペー・アマレーロ(Ipê amarelo)はブラジルを象徴する木であり花(国樹、国花)である。 鮮やかな赤紫~ピンクの花が咲くイペー・ローショ(Ipê roxo)はパラグアイではラパチョと呼ばれ国樹になっている(参照:ブラジル パンタナール湿原のイペーの木 - その1その2)。

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 27 0.84, +139 38 46.68 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 45°

PanoraGeo-No.685




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ミニトリップ・イン・横浜 19 /20
横浜港発祥の地、象の鼻パーク

横浜港発祥の地、象の鼻パーク

The birthplace of Yokohama Port, Zou-no-hana (Elephant Nose) Park












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 1859年(安政6年)、開港に際して、今の大さん橋の付け根西側に、長さ 100m 余りの2本の小さな突堤が 120m ほどの間隔で建設された。これが横浜港の起源である。 沖に停泊した大きな船と突堤の間は艀(はしけ)によって人や貨物が運ばれた。 2本の突堤の間の水面を荒波から守るため、1867 年(慶應3年)に、東側の突堤から直角にやや湾曲して伸びる防波堤が築造された。 高いところから見るとその形が象の鼻のようなので象の鼻防波堤と呼ばれるようになった。写真右端から出て来る石垣が現在の象の鼻防波堤の一部である。 この防波堤の形は建設以後いろいろ変わったが位置は変わらない。2009 年の開港 150 周年に際し、開港期当時のような形に戻され、この水面を囲む一帯が整備されて象の鼻パークになった。 東側の突堤に接して大きな船が接岸できる鉄桟橋(現在の大さん橋)が出来たのは 27 年後の 1894 年(明治27年)である。1871 年(明治4年)に欧米に渡航した岩倉使節団もこの象の鼻に囲まれた水面から艀に乗って沖で待つアメリカ号へ向かった (参照:岩倉使節団出航の図)。
 この位置からだと、遠景にみなとみらい 21 のビル群(現代)、中景に新港埠頭と赤レンガ倉庫(築港第二期)、そして近景に象の鼻防波堤(開港期)と、ミナトヨコハマの歴史の新旧主役を一望できる。 築港第一期は?・・・首を右に回せば、そこには大さん橋がある。

注:象の鼻パーク(地区)の歴史の説明では「西波止場」「東波止場」という語がしばしば使用されるが、ここでは使用しなかった。 その理由については こちら  を!。

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 26 57.24, +139 38 43.14 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 320°

PanoraGeo-No.686




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ミニトリップ・イン・横浜 20 /20




日本大通りに面する神奈川県庁本庁舎

日本大通りに面する神奈川県庁本庁舎

Kanagawa Prefectural Government Building facing Nihon-Odori Street












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 日本大通りは横浜港の象の鼻パークから内陸へ、横浜公園に至る延長 400m の街路で、沿道には、神奈川県庁、地方検察庁、簡易裁判所、日本銀行などが並ぶ行政中心地である。 1866 年(慶應2年)に外国人居留地の 1/4、日本人居住地の 2/3 が焼失するという大火があったが、その後の区画整理一環としてこの道路が建設された。 外国人居留地(南東側)と日本人居住地(北西側)の境界をなす幅 120 フィート(約36m)のこの道路は、防火帯の役割も持っており、1874 年ごろまでに完成した。
 日本大通りの向こうに見えるのが神奈川県庁本庁舎の正面入り口である。関東大震災後の 1928 年に完成したこの建物は、国の重要文化財に指定されている。 歴史展示室と屋上展望台の見学は平日8時半から 17 時 15 分まで可能である。
 この写真の撮影位置足元には「横浜三塔ビューポイントプレート」がある。 左に 2023 年現在工事中の横浜市開港記念館のジャックの塔、右に横浜税関のクイーンの塔、そして正面に神奈川県庁のキングの塔・・・があるはずなのに写っていない!。失敗作((+_+))。 ジャックの塔の工事が済んだ頃、再挑戦に出かけるしかない。
 このミニトリップ・イン・横浜のゴール、みなとみらい線日本大通り駅はもうすぐそこである。お疲れさまでした。

2023年3月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+35 26 50.32, +139 38 35.81 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 305°

PanoraGeo-No.687


Uploaded on April 22, 2023