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左は 1906 年(明治 39 年)発行、右は最新(2020 年発行)の横浜港周辺の地理院地図である。
1906 年は横浜築港第一期工事が終わり第二期工事が始まって間もなくの時期で、大さん橋(鉄桟橋)は完成し、新港埠頭は造成中である。もちろん、1867 年にできた象の鼻防波堤は存在する。
この地図では(A)象の鼻付近に「西波止場」、その南東で今の山下公園中部に「東波止場」という表記がある。
「東波止場」は1863年に築造された「フランス波止場」を指しているようである。
ところが、最近の横浜市の観光パンフレット*1)やホームページ*2)ではこれと異なった使い方をしている。
すなわち、(B)象の鼻パークのところに開港時(1859 年)に造られた2本の突堤のうち西のものを「西波止場」、東の象の鼻が取り付けられた突堤を「東波止場」と呼んでいる。
結論から言うと、(A)(B)どちらの使い方も間違いではない:象の鼻パークの2本の突堤は開港当初の短い期間は(B)ように呼ばれていたようである。
しかし、開港4年後には山下公園中部の波止場ができ、こちらが「東波止場」(フランス波止場)と呼ばれ、象の鼻パークの東西の波止場は統一されて「西波止場」になった、というわけである。
したがって、(A)のような使い方をされた期間の方がはるかに長いわけで、これを無視するのは妥当でない。
横浜市のホームページ(下記の注*2)では、明治 15 年の陸地測量部の地図や上図と同じ明治 39 年の地図を引用しているが、いずれの地図にもあった(A)を示す表記は消されてしまっている。
このような改ざんとも言えるようなことが許されるのだろうか?
*1)
横浜市:開港150周年記念事業パンフ 横浜港発祥の地 象の鼻地区 P.2 (象の鼻地区の変遷)
*2)
横浜市HP:象の鼻地区 歴史 最終更新日 2019年3月5日
図の出典:
今昔マップ on the webを原図に、文字・矢印(青色)を補足
テーマ 44. お勧め!ミニトリップ・イン・横浜 P.19 の資料