左の図は横浜港開港前、1854(嘉永7)年頃の横浜ベイエリア(関内地区)とその周辺(関外地区*1))の状況を示す古地図、右はそれに対応する地域の現在の衛星写真である。
古地図は衛星写真と対照しやすいように、北が上になるように回転してある。
また、古地図において、横浜という地名の語源となった砂嘴(さし)を際立たせるために、水面を水色に、湿地や水田を黄緑に色づけしてある。
湿地や水田の部分は、新田開発で干拓される以前は大岡川河口部の湾(小さなエスチュアリー:三角江)であり、それが洲干島 (しゅうかんじま)とよばれる砂嘴によって海から隔てられてラグーン(潟湖 せきこ)になっていた。
衛星写真では本町通りを赤い太線で示してあるが、この道は畑になっている砂嘴の微高地の上を通っていることが分かる。
都市化が進んだ現在でも、たとえば、中華街東門交差点から内陸の中華街方面を望むと、本町通りが中華街より若干高いことが分かる。
ブラタモリよろしく、観察してみてください。
古地図の出典:日本地理体系第三巻(改造社)を引用した三井住友不動産HP
衛星写真:地理院地図(写真)
*1) 開港後、港湾地区の治安を保つ目的で、現在の JR 線にほぼ沿った運河に架かる吉田橋に吉田橋関門が設置された。それ以後、この運河より海側が関内、内陸が関外と呼ばれるようになった。
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