直前のページに戻る | 目次へ↑ | 次の画像へ |
写真や図をタップすると、拡大画像がポップアップし、右下の ✕ で戻ります。
マデイラ・マモレ鉄道はブラジルアマゾン地方のロンドニア州にあった鉄道で、州都ポルトヴェーリョからボリビア国境の町グアジャラミリンまでの 365.7㎞ を結んでいた。
その名の「マデイラ」も「マモレ」も川の名である。マデイラ川はアマゾン川中流部へ南岸から流入するアマゾン川最大の支流で、ポルトヴェーリョはその右岸にある。
マモレ川はマデイラ川上流の支流で、その右岸にグアジャラミリンがある。
このようなアマゾンの奥地に鉄道が建設された要因は、19 世紀後半から 20 世紀の初期にかけてアマゾン川流域で起こった天然ゴムブームである。
天然ゴムを産するパラゴムの木はおもにアマゾン川より南の熱帯林に自生しており、ブラジルのほかペルーやボリビアのアマゾン低地も天然ゴムの主要産地である。
これらの地域の天然ゴムは、アマゾン川河口部のベレン市(旧名パラ市)から世界中に輸出されたのでパラゴムと呼ばれた。
パラ市までの輸送は川を下る船によって行われたが、ポルトヴェーリョとグアジャラミリンの間には多数の早瀬があって船の航行が困難であった。
マデイラ川上流の多くの支流沿いに天然ゴム産地を持つボリビアの強い希望もあって、ブラジルがこの区間に建設したのがマデイラ・マモレ鉄道である。
ブラジルは若干の金銭とこの鉄道の建設の代償として、現在のアクレ州にあたる地方をボリビアから取得した。
鉄道の全線開通は 1912 年であったが、奇しくもこの年がブラジルにおける天然ゴム輸出のピークで、この後、東南アジアのゴムプランテーションに押されて、アマゾンの天然ゴムブームは急速に萎んで行く。
国道 364 号と425 号の開通で代替輸送が可能になり、マデイラ・マモレ鉄道は 1972 年に廃止された。
PanoraGeo目次へ↑ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 1 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
ロンドニア州の州都でマデイラ・マモレ鉄道の起点であるポルトヴェーリョ市街はマデイラ川の右岸にある。
写真の右がマデイラ川の下流、左上が上流である。ポルトヴェーリョ市街から上流へ数 km 行き、川が大きく右へ曲がり、大小の島がある辺りの水面は若干波立っている(拡大して見てください)。
ここはサントアントニオ早瀬という急流で、岩礁が多く船の航行は難しい。この早瀬はマデイラ川を上がって来る船の遡航限界である。
これより上流にはこのような早瀬が多数あり、船の航行が困難なためマデイラ・マモレ鉄道が建設された。
写真右から三番目の道路が川に突き当たるところに、マデイラ・マモレ鉄道のポルトヴェーリョ駅がある。
その辺りにはパラグアイ戦争(1864 - 70 年)の時に軍が駐留した古い小さな港があったが、外国商船のマデイラ川航行が許可された 1873 年ごろ、サントアントニオ早瀬近くに設備の整った新しい港が造られ、天然ゴムの積み出しに使われた。
しかしマデイラ・マモレ鉄道のターミナル駅は、広い平地がある古い港の付近に造られることになり、それを中心にポルトヴェーリョの市街が成長した。ポルトヴェーリョは「古い港」を意味している。
写真左端部の中ほどに小さく見える緑地帯に沿う道路は、クイアバ・ポルトヴェーリョ道路*1)で、その終端から直角に曲がって左上に伸びる大きな道路は、アクレ州リオブランコ市方面に続く国道 364 号である。
この国道が整備されたことによって、マデイラ・マモレ鉄道の役割は終わった。
*1)アマゾン横断道路とほぼ同じ時期に建設されたアマゾン幹線道路の一つで、沿線の森林破壊の激しさが大きな問題になった。
2007年3月23日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-8 45 42.15, -63 52 27.93 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 251°
PanoraGeo-No.146
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 2 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
ポルトヴェーリョ市のセントロ(中央地区)の目抜き通りで東西に走るセッテデセテンブロ通り(9月7日通り)を西へ行き、マデイラ川に突き当たったところにマデイラ・マモレ鉄道の起点、ポルトヴェーリョ駅がある。
写真右手の小さな建物は旅客用の駅舎で、白い看板には「マデイラ・マモレ鉄道 ポルトヴェーリョ駅」と表示されている。
その向こうの大きな建物はゴムなどの積み荷を保管するのに使われた貨物倉庫である。
マデイラ・マモレ鉄道のの営業は 1972 年に終わったが、その後しばらくして、一部の区間、週末に観光列車が運行されるようになった。
1981 年にはポルトヴェーリョから 7.3km のサントアントニオ(早瀬)まで、翌年には約 25㎞ のテオトニオ(早瀬)まで運行された。
1989 年撮影のこの写真で、営業終了後 20 年近く経つ割には駅舎や機関車が古びていないのは、手入れされて観光用に使われていたためである。
貨物倉庫はこの鉄道に関係した様々な機器や記念品を収蔵する博物館になっていた。
観光列車の運行は次第に縮小し、2000 年にはすべて終わってしまった。
1989年8月29日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-8 45 57.69, -63 54 31.63 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 274°
PanoraGeo-No.148
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 3 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
1972 年にマデイラ・マモレ鉄道の営業停止後、多くの車両が廃棄された。
森林の線路脇に何台もの機関車が捨てられ、SL の墓場(画像*1))と言われるような所もある。
廃線になってから 17 年後のこの写真撮影時のポルトヴェーリョ駅には、そこここに無造作に置かれたレールや車両部品などとともに、数台の蒸気機関車、気動車、客車、貨車が残っていた。
写真左の貨物倉庫に接しては、主に貨物列車を牽引した4動輪軸(D型)の 15号 蒸気機関車が展示されている。
右側の建物は旅客駅舎とそのプラットフォームで、遠方には 50 号蒸気機関車が待機している。
この時期には、週末に観光列車が運行されており、駅舎やホームはきれいに手入れされている。
50号 蒸気機関車は、3動輪軸(C型)の旅客列車用機関車で、観光列車用に活躍中だったと思われる。
*1) 出典:Gooogle map ストリートビュー、Sept 2012 取得画像。
1989年8月29日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-8 45 58.45, -63 54 33.42 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 349°
PanoraGeo-No.736
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 4 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
マデイラ・マモレ鉄道ポルトヴェーリョ駅の構内南部には、おもに車両の格納庫や整備工場が配置されていた。
写真の建物は蒸気機関車の車庫、すなわち機関庫である。
その手前にある鉄橋のような構造物は転車台で、円形の溝の中に敷かれたレールに乗った鉄橋(転車台桁)が回転する。
扇状に配列された機関庫の線路に合わせるよう蒸気機関車の向きを変えたり、折り返す蒸気機関車の向きを 180 度変えたりするのに使う。
後者の目的には、ポルトヴェーリョ駅構内にデルタ線*1)が敷設されているのでそれも利用できる。
この機関庫の背後には車両格納庫や整備工場があるが、これら車両基地施設の傷み方はひどかった。
しかし、2006 年に国の文化遺産(Patrimônio Cultural Brasileiro)に指定されたのを契機に、駅構内全体を整備し、「マデイラ・マモレ鉄道複合施設」(Complexo da Estrada de Ferro Madeira-Mamoré)という観光施設にする計画が進めらた。
この施設はいったんはオープンしたものの、2014 年の洪水の被害などのために閉鎖。2024 年に、整備工場の大きな建物を改造した博物館をなどが完成し、一部再開の運びになった。
これらの整備資金としてはサントアントニオ早瀬に建設された水力発電所の環境補償金が役立っている。
*1) 三角形 A,B,C の形に敷かれた線路で、機関車が点 A から B へ前向きに進み、B から C へは後退し、C から A へ前向きに進むと、A に戻った時には 180 度方向が変わっている。
2007年3月22日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-8 45 58.63, -63 54 31.58 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 117°
PanoraGeo-No.727
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 5 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
マデイラ・マモレ鉄道ポルトヴェーリョ駅は、2006 年にブラジルの文化遺産に指定されたが、これはその直後、2007 年3月の写真である。
3月はマデイラ川の水位が高い時期で、川の水面すれすれの低地にポルトヴェーリョ駅が横たわっている。
画面中央部のレンガ色の建物はブラジル海軍が港湾警備用に使っている施設である。
その左(北部)、木立の向こうに見え隠れして横たわる長いレンガ色の建物はこの駅の貨物倉庫。海軍の建物の右にあるのが機関庫や整備工場などの車両基地である。
写真撮影当時、長さ約 90mの鉄骨造り整備工場は錆びだらけのひどい状態で横たわっていた。
その後、駅構内全般が整備され、2024年現在、観光施設「マデイラ・マモレ鉄道複合施設」になっている。荒れていた整備工場はこの複合施設の中心をなす博物館に生まれ変わった。
マデイラ・マモレ鉄道建設以前の港はここより数 km 上流のサンアントニオ早瀬近くにあったが、ポルトヴェーリョ駅とその港は、流れが穏やかで広い低地があるこの場所に造られた。
しかし、低地すなわち氾濫原なので洪水の危険は避けられたい。2014 年にはマデイラ川の大洪水によって複合施設が全面的に浸水してしまった。
2007年3月17日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-8 46 10.07, -63 55 16.66 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 76°
PanoraGeo-No.728
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 6 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
1989 年8月末のマデイラ川の河岸である。マデイラ川の水位は、アマゾンの他の本支流と同様、1年を周期に大きく変動する。
ポルトヴェーリョでは4月始めが最も水位が高く、9月末が最低水位になり、その水位差は平均 11.8mもある。これは平均約 10 mのマナウスの水位差よりも大きい。
この写真を撮影した8月末は水位が最低に近い時期なので、ポルトヴェーリョ駅がある低地(氾濫原)は、水面すれすれだった3月の状況からは想像できないほど高い位置にある。
画面中央の建物が海軍の港湾管理施設(当時は白く塗られていた)で、その向こうにレンガ色のの貨物倉庫が見える。左端の船は海軍の巡視艇である。
河岸の斜面は堆積したばかりのルーズな土砂で覆われている。マデイラ川はアマゾンの大きな支流の内では最も濁りの濃い川なので、水が引いた後の河岸はこのような状況になる。
1989年8月29日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-8 46 8.30, -63 54 33.73 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 2°
PanoraGeo-No.729
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 7 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
ブラジル文化遺産に登録されたマデイラ・マモレ鉄道
ポルトヴェーリョ郊外区間*2)
赤い線はポルトヴェーリョ駅構内(B)とサントアントニオ駅(D)の間8㎞ のマデイラ・マモレ鉄道線路。 Cはカンデラリア墓地(鉄道建設工事で死亡した数千人が埋葬されている--参照:ニッケイ新聞記事)、Aは3基の給水塔。
マデイラ・マモレ鉄道が始発駅ポルトヴェーリョ駅を出ると最初に止まる駅はサントアントニオ駅。
この写真はその駅があった場所の 2007 年の状況である。
通常の営業が終了して 35 年経っているので、その間何の手入れもしなければ、旺盛な森が再生してジャングルになっているはずである。
しかしこの写真では、駅舎はもはや無いが、線路は無傷に残っており、少し草を刈れば列車の運行も可能な状態に見える。
このように保存がよいのには二つの要因がある:
一つは 1981 年からしばらくの間、ポルトヴェーリョとここまでの区間、週末に観光列車が運行されていたことである。
翌年には、観光列車はポルトヴェーリョから 25㎞で、やはり早瀬があるテオトニオ駅まで延長された。
このほか 1984 年には上流のターミナルグアジャラミリン駅からイアター駅までの 20㎞ にも観光列車が運行された。
しかし 1991年 には、ここサントアントニオ駅までの観光列車を除いてすべて運行を停止、ここまでの運行も不定期となり、2000 年に終了した*1)。
二つ目は、2006 年にこの鉄道のポルトヴェーリョ郊外区間が国の文化遺産に認定されたことである。
観光列車運行の再開が期待され、線路の手入れも行われた。
サントアントニオ地区では、駅舎が再建されたり昔の気動車が一時的に運行されたりしている。
しかし、ポルトヴェーリョ駅構内が整備されて観光施設「マデイラ・マモレ鉄道複合施設」になったが、観光列車の運行は実現しなかった。
*1) Alemcar.C.P.de(2012):
Trilhando memorias: reflexoes acerca des edentidades dos trabalhadores da Estrad de Ferro Madeira-Mamore(ポルトガル語 7.9 MB) p.28
*2) 同上:p.115
2007年3月18日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-8 48 32.09, -63 56 38.33 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り246°
PanoraGeo-No.304
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 8 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
ポルトヴェーリョの市街からマデイラ川を6㎞ほど遡ったところに、このサントアントニオ早瀬がある。
写真の右端の茂みはこの早瀬にある大きな島で、その右にはこの2倍以上広い本流の早瀬が流れている。
水面下には多くの岩礁が隠れていて、このように水量が多い時期でも船の航行は無理。アマゾン川などから来る船の遡航限界をなしている。
ここより上流のグアジャラミリン市までの間にはこのような大きな早瀬が 10 数カ所あるため船による貨物の直通輸送は不可能。
マデイラ川上流の支流沿岸に多くのゴム産地を持つボリビアの強い要望もあって、ブラジルがマデイラ・マモレ鉄道を建設することになった。
ボリビアはその代償として現在のアクレ州をブラジルに割譲した。
この早瀬の硬い岩盤と勾配を利用し、早瀬に並ぶ島々をつなぐ形のダムとサントアントニオ水力発電所(参照写真*1))が建設された。
最大出力は 3568.3MW で、ブラジルでは五指に入る大規模発電所である。この写真1年後の 2008 年に着工、2012 年に一部送電開始、2017年 に 50 基の全発電機が稼働を開始した。
電力は世界最長 2375 km の60万ボルト送電線でサンパウロ方面に送られるが、50基のうち6基は地元のロンドニア州とアクレ州用に使う約束になっている。
*1) エレトロブラス フルナス社(Eletrobras Furnas)ホームページ
(Google Map) 撮影方向:北から時計回り 242°
PanoraGeo-No.730
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 9 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
ジャッシーパラナ(ポルトヴェーリョ市の一地区)はジャッシーパラナ川流域の広い範囲から集まる天然ゴムの主要な集散地であった。
1912 年1月8日のマデイラ・マモレ鉄道全線開通の1年半以上も前の 1910 年5月 31 日、ポルトヴェーリョ駅と当駅との間の 90.0km が先ず開通した。
駅はジャッシーパラナ川左岸の船着場に近接した位置にある。両ターミナルやアブナン駅と並ぶ規模の大きい主要駅である。
多くの主要駅では、駅舎を博物館にしたり駅構内を公園にしたりするなど、マデイラ・マモレ鉄道の施設を歴史遺産として残す努力をしているが、ここではそのような動きは無いようで、広い操車場に線路や車両は無く、ブロックづくりのモダンな駅舎も、屋根が落ち壁の漆喰が剥がれるなど荒れ放題であった。
なお、この写真が撮影された 2007 年当時のジャッシーパラナは、間もなく始まるマデイラ川水力発電所群(サントアントニオ水力発電所とジラウ水力発電所)の建設で土地が値上りするなど、景気が良いとのことであった。
2007年3月18日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-9 15 39.41, -64 24 6.06 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 118°
PanoraGeo-No.149
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 10 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
マデイラ・マモレ鉄道とそれに取って代わった国道 364 号は、ほとんどの区間を並行して走っている。
写真はポルトヴェーリョから約 90㎞、マデイラ川支流のジャシーパラナ川を鉄道と国道が並んで渡るところである。
川幅は 90mほどで、両岸には森林に覆われた氾濫原がひろがっていた。
しかし 2012 年にサントアントニオ水力発電所ダムの貯水が始まると、80km あまり上流のこの付近でもマデイラ川の水位が上昇、
ジャシーパラナ川下流部の氾濫原はすべて水没して、広々とした湾(マウスベイ:河口あるいは合流点の湾)のようになってしまった。
写真でもわかるように、鉄橋は道路橋よりかなり低い。そのため、2014 年の大洪水のような時には、鉄橋の橋桁が水没するようになった。
そのような洪水で貴重な歴史遺産が損傷するのを防ぐため、 鉄橋全体を2mあまり嵩上げする珍しい工事が 2024 年に完了した。
もちろん、電力会社の環境補償がなければ、このように贅沢な?工事は不可能であろう
2007年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-9 15 25.94, -64 23 11.99 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 229°
PanoraGeo-No.731
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 11 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
ポルトヴェーリョから 132.4km にあったマデイラ・マモレ鉄道ジラウ駅では、線路や駅舎は撤去され、数軒の従業員住宅と蒸気機関車への給水タンクが残るのみである。
この付近のマデイラ川にはジラウの滝(Salto do Jirau)があった。
マデイラ・マモレ鉄道沿いのマデイラ川早瀬群の中では最も規模が大きく、他は早瀬(カショレイラ Cachoreira)と呼ばれるのに対し、ここだけは滝(サルト Salto)である。
この滝の下流 12㎞ にある小さな早瀬をダムサイトとして、ジラウ水力発電所が建設された。
高水期には 361.6 平方 km に広がるこのダムの貯水池にジラウの滝は水没した。
ジラウ水力発電所は、75 MW 発電機 50 基、最大出力 3750MW というブラジル第4位の出力をもつ大規模発電所で、2009 年着工、2013年一部稼働開始で、2016年に完成した。
ジラウ駅付近はこの発電所から 18㎞、直近のマデイラ川からは7 ㎞ 離れた台地上にあるので、景観は発電所建設前のこの写真(2007 年撮影)とあまり変わっていない。
2007年3月18日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-9 25 42.33, -64 41 58.82 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 197°
PanoraGeo-No.150
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 12 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
ポルトヴェーリョから 168㎞ 付近にあるムツンパラナ川鉄橋は、2連の典型的なトラス橋である。 橋の手前の水面にはマデイラ川沿岸ではどこでも目にする砂金採取用のガリンポ筏(いかだ)やその残骸が浮んでいる。 この付近はアデイラ・マモレ鉄道沿線でダム建設の影響を受けて最も顕著に変貌した地域である。 この写真(2007 年撮影)当時、鉄橋の両岸は鬱蒼としたヴァルゼア林(氾濫原林)で覆われていた。 しかし、ムツンパラナ川*1)の合流点から 60㎞ 下流のマデイラ川でジラウ水力発電所の建設が始まり、そのダムの貯水開始(2013 年)に先立ち、低地(氾濫原)を覆っていた森林はすべて伐採され消失した。 ダムの影響で、高水期には低地が全面的に水没して大きな湾になり、低水期には右の写真のような無樹木の広大な荒れ地になった。 また、発電所建設以前には、この川の左岸(写真右)に人口 6000 人ほどのムツンパラナ市街があったが、水没するために移転を余儀なくされた。 移転地は国道 364 号をポルトヴェーリョ方向に 60㎞ ほど行ったところに造成されたノヴァムツンパラナ(新ムツンパラナ)である。
*1) 正式にはクチア川(Rio Cutia)といい、ムツンパラナ川はその上流の支流であるが、ムツンパラナ市街が河口付近の河畔にあったため、ムツンパラナ川の方が通りが良い。
2007年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-9 37 2.12, -64 56 2.81 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 166°
PanoraGeo-No.732
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 13 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
アブナンは、マデイラ川が北向きから東向きに大きく向きを変える地点の右岸にある人口 600 人あまり(2010 年)の小集落。
天然ゴムの重要な集散地のため、若干遠回りになるにもかかわらず、ここにアブナン駅が設置された。
ポルトヴェーリョ駅からの距離は 219.1㎞。大きな操車場があり、両ターミナル駅と並んでもっとも重要な駅であった。
この集落近くのマデイラ川対岸でアブナン川(スペイン語ではアブナ川)が合流する。
この川はおもにブラジルとボリビアの国境を流れているが、アクレ州がブラジルに割譲される以前は大部分がボリビア領内にあり、その沿岸はボリビアの主要なゴム産地であった。
アブナン駅構内の広い操車場は、現在、マデイラ・マモレ鉄道の様々な遺物が残る公園になっている。写真手前に見られるクレーン車のほか、左遠方には蒸気機関車、倉庫(車両整備工場?)、背の高い信号扱所(信号所)の建物などが見える。
その手前には、ジラウ駅(11ページ)で見られたのと同じ造りの職員住宅が数軒並んでいる。
この鉄道の代わりとなった国道 364 号もこの公園を縦貫している。
2007年3月19日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-9 41 56.08, -65 22 12.10 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 158°
PanoraGeo-No.151
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 14 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
ポルトヴェーリョからマデイラ・マモレ鉄道と並行してきた国道 364 号は、アブナンで分かれ、マデイラ川を渡ってアクレ州のリオブランコ方面に向かう
(地図参照)。
最近まで、マデイラ川には橋がなく、アブナンの渡しでは、この写真のような車載用筏(いかだ)の横にタグボートを結び付けた簡易なフェリーが就航していた。
しかし、2014年 に州都にポルトヴェーリョ・マナウス道路の橋ができたのに続き、国道364号にも、2021 年には長さ 1517 mのアブナン橋が完成した。
最近 10 年足らずのうちに(2014~2021年)に、マデイラ川には二つの大きな橋が架かり、二つの大規模発電所が稼働するなど、その社会資本の充実は驚異的である。
このアブナン渡しより上流のマデイラ川は、ブラジルとボリビアの国境である。
上流を向いたこの写真では、フェリーの発着場が見える左側がブラジル、右側がボリビアである。
ここから約 100Km 上流で、ボリビア側から大きなベニ川が合流して来るが、そこまでがマデイラ川で、それより上流はマモレ川と名が変わる。
マデイラ・マモレ鉄道は、マデイラ川とマモレ川に沿って、ここアブナンから約 150㎞ のグアジャラミリンまで行く。
そのうちの主要駅はアブナン川の合流点のアブナン、ベニ川合流点のヴィラムルチーニョ、そして最後の早瀬があるグアジャラミリンで、いずれも、河川・陸上交通の結節点である。
2007年3月19日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-9 40 5.80, -65 26 35.35 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 97°
PanoraGeo-No.152
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 15 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
アマゾンのゴムブームのために建設され、ブームが去ったあとも約半世紀にわたって持ちこたえたマデイラ・マモレ鉄道が、1972 年、ついに廃線に至ったのは、アマゾン地方でも道路交通が発達してきたためである。
1964 年に政権を握った軍事政権は、アマゾン地方を船か飛行機でした行けない陸の孤島にしておくことは地政学的にも望ましくないと考え、アマゾン横断道路をはじめとした数本の幹線道路の建設に着手した。
ロンドニア州にはクイアバ・ポルトヴェーリョ道路(国道 364 号)が1965 年に完成した。
さらに、その延長として北方へはポルトヴェーリョ・マナウス道路(国道 319 号)ができ、西方へはアクレ州のリオブランコ市へ向かって国道 364 号の延伸が進んだ。
マデイラ・マモレ鉄道の息の根を止めたのは後者である。
写真は幹線国道 364 号から枝分かれしてグアジャラミリンへ向かう支線国道 425 号のリベイロン川橋で、廃線になったマデイラ・マモレ鉄道の鉄橋をそのまま使っている。
このような例は、幹線国道 364 号でも延伸の初期にはあったようであるが、現在では見られない。支線であるがゆえに残っていたこの鉄橋の横で、2022 年には、新しい道路橋の建設が始まった
(参照:Google Map ストリートビュー 撮影日 2022 年 11 月)。
この橋の対岸には、マデイラ川などの川底の砂から砂金を採取するガリンポ筏(いかだ)とそれを曳航する赤い船体のタグボートが見える。
2007年3月18日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-10 13 54.49, -65 16 57.76 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 240°
PanoraGeo-No.17
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 16 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
アマゾン地方におけるゴールドラッシュは 1970 年代末に始まった。
その中心地はロンドニア州のマデイラ川とタパジョス川中流域であった。タパジョス川流域では河岸の堆積物から砂金を選り分ける方式が主であったが、
マデイラ川では、この写真に見られるようなガリンポ筏に川底の砂泥を吸い上げて選り分ける砂金採取が中心であった。
筏の前部、人がいるそばに見える斜面はエステイラ(esteira、ベルトコンベアーの意)と呼ばれる水路で、底面の網の下には人工芝のようなカーペットが敷いてある。
川底から水とともにホースで吸い上げた土砂をこの水路に投入して流すと、砂金を含む重い砂粒は沈殿してカーペットに留まり、水や軽い粒子は流れ去る。
こうしてカーペットにたまった砂をかき集めて砂金を選り分けるが、この際に水銀が使われ、環境汚染問題を起こしている。
(参考:砂金採取用エステイラのミニチュア版の画像*1))。
マデイラ川はアマゾンにおけるゴールドラッシュの先駆地域である。
その後、ゴールドラッシュの中心はパラ州のセラペラーダやロライマ州などに移って行ったが、最近、マデイラ川の砂金採取が再びブーム状態に入った感がある
(参考:マデイラ川河口部アウタゼス市沖に勢ぞろいしたガリンポ筏の画像*2))。
*1) 出典:YouTube動画 garimpo manual、July 15, 2024 閲覧
*2) 出典:Alicia Lobato, Kátia Brasil e Jullie Pereira (November 26, 2021):
Nova corrida do ouro ilegal leva 1,8 mil homens ao Rio Madeira, na Amazônia (新たな不法ゴールドラッシュで1800人の男がアマゾン地方のマデイラ川に到来), HP: Brasil de Fato、July 15, 2024 閲覧
2007年3月18日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-10 13 55.11, -65 16 58.84 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 43°
PanoraGeo-No.733
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 17 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
マデイラ・マモレ鉄道の下流側のターミナルであるポルトヴェーリョ駅から 365.7㎞、標高で 97 m上った標高 195mに、上流側のターミナル、グアジャラミリン駅があった。
写真はその駅舎で、現在は市立歴史博物館になっている。グアジャラミリンとは先住民ツピー族の言葉で「小さい早瀬」を意味している。
市街地前のマモレ川には早瀬があり、マモレ川の上流から来る船の航行限界をなしている。グアジャラミリンからポルトヴェーリョまでの間にはそのような早瀬が多数あるため、ここをターミナルとした鉄道が建設された。
プラットフォームに停車している 車両は、動輪軸3(動輪数6)の 20 号蒸気機関車で、かつてはおもに客車と貨車の混合列車を曳いて運行していた。
このSLは、多くの犠牲者が出た難工事で有名なマデイラ・マモレ鉄道建設を描いたテレビドラマ「マッド・マリア(原語:Maria Louca)、2005年放送)のロケーションで、悲劇の象徴5号機関車マッド・マリア号を演じた
( テレビドラマ「マッド・マリア」の一場面*1))。
ドラマ録画2年後のこの写真では、塗装も撮影当時のまま、プレートも5のままである(EFMM20号機関車拡大画像)。
その後、腐食を心配して現地企業家などが寄付した塗料で塗装され、前部が白い元来ののスタイルになって展示されている
(参考:2012年撮影のグーグルストリート画像)。
*1) 出典:ブラジルテレビ局グローボのHP: Memória Globo: Mad Maria--História da construção da ferrovia Madeira-Mamoré, no norte do Brasil, um dos maiores desafios arquitetônicos do início do século XX. (ブラジル北部におけるマデイラ・マモレ鉄道の建設史:20世紀における建設工事最大の挑戦)
2007年3月19日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-10 47 34.26, -65 20 47.57 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 350°
PanoraGeo-No.734
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 18 /19 | 前の画像へ | 次の画像へ |
マデイラ・マモレ鉄道(略称 EFMM)は低規格の軽便鉄道ではなく本格的な鉄道であった。
線路の幅(軌間)は1000mm あり、日本のJR在来線(1067mm)とほとんど違わない。
鉄道建設当時の天然ゴムブームは、この鉄道に見合うほど盛大なものだったわけである。
ボリビアとの間で、現在のアクレ州の譲渡と引き換えに鉄道建設を約束したブラジルとしては、あまり貧弱な鉄道を造るわけにはいかなかったのかもしれない。
グアジャラミリンの駅前広場には、炭水車付の蒸気機関車マデイラ・マモレ鉄道 17 号機関車が展示されている。
先輪1軸、動輪4軸、従輪1軸(国鉄式車軸配置1D1、あるいはホワイト式車輪配置 2-8-2)という点も日本の D51 型蒸気機関車と同じ大型SLである。
おもに、写真にあるようなフラット(ベッド)貨車を曳く貨物列車に使われた。
2007年3月19日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-10 47 34.52, -65 20 48.57 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 293°
PanoraGeo-No.303
前の画像へ | 次の画像へ ↓ |
マデイラ・マモレ鉄道 | 19 /19 | 前の画像へ | 目次へ |
グアジャラミリンはボリビア国境の町である。
マデイラ・マモレ鉄道の駅前の船着場からは、定員 20 人くらいの小さいモーターボートであるが、マモレ川の対岸にあるボリビアのグアヤラメリン市へのフェリーが頻繁に出ている。
水しぶきを上げて疾走するフェリー上からブラジルのグアジャラミリン市を振り返ったのがこの写真である。
左端付近の黄色い壁の建物が歴史博物館になった旧グアジャラミリン駅で、その手前の白と青の建物は税関などのある港湾事務所である。
その右にある黒い異様な建造物はかつて使われた蒸気機関車用の給水塔である。
グアジャラミリン市は、1991 年、マナウス自由貿易地域と同様の税制優遇が得られる自由商業地域(Área de Livre Comércio)に指定された。
おもにアマゾン地方の国境にある都市の経済発展と他地域との結びつきの促進を目的とする措置である。
画面右手に見える二階建てのビルは、香水や化粧品、洋酒などを扱う全国規模小売商社TOPインターナショナルの店舗である。
関税の免除など税制優遇のあるマナウス市とマカパ市(アマパ州)の店と同様、グアジャラミリンの店には、輸入品を免税の安い価格で提供できるメリットがある。
しかし、多くの観光客がお土産として香水を買って行くマナウスとは違い、グアジャラミリン市のような奥地までわざわざ香水を買いに来る人は極めて稀なので、このメリットは生かされにくい。
一部で希望されているように、マデイラ・マモレ鉄道が世界文化遺産にでも指定され、多くの観光客が来るようになれば話は別であるが・・・。
2007年3月19日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-10 47 43.69, -65 20 54.61 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 44°
PanoraGeo-No.735
前の画像へ ↑ | 目次へ↓ | テーマ Top へ |