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1979 年8月2日〜3日 富士登山 上の地図で赤い点線が行程: 三島から登山バスで富士宮口五合目へ 富士宮口登山道(富士宮ルート)を登る。八合目で一泊。 浅間大社奥宮から日本最高点剣ヶ峰(地理院の地図では何故か「剣ヶ峯」)を通り 「お鉢巡り」の西の部分を半周 吉田口登山道(吉田ルート)を下山(吉田大沢砂走りを六合目へ) 六合目よりスバルライン五合目まで馬の背で |
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ぼくとわたしは、1979 年8月、富士登山に挑戦。登りは
南口または表口登山道とも言われる富士宮口登山道(富士宮ルート)から。
この登山道の本来の起点は、静岡県富士山世界遺産センターの展望ホールから撮ったこの写真で、
赤い鳥居と木立が見える富士山本宮浅間大社(富士宮市、世界遺産)のはずであるが、今どき、
ここから歩いて登山する人はいない。ぼくとわたしは、新幹線で三島へ、そこから登山バスで
富士宮口登山道五合目へ直行した。
2018年7月7日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+35 13 25.97, +138 36 32.68 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 33° PanoraGeo-No.295 |
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標高 2350m、バスは間もなく標高 2400m の富士山富士宮口登山道五合目に着く。
車窓から見下ろす富士山麓から岳南平野にかけての一帯は、見事な雲海に覆われている。
雲海をバックに、富士山の亜高山帯植生を代表する針葉樹の天然林がひろがる。シラビソとコメツガが
主であるというが、秋になるとカラマツもかなり多いことがわかる
(2014年10月のストリートビュー参照)。
最近になってカラマツがとくに増えてきたのかどうか、知りたいところである。このあたりは
まさに富士山の「森林限界の手前」である。この言葉は、2022年2月12日に将棋の王将というタイトルに挑戦して
勝利し、19 歳6か月という記録的早さで将棋の当時の五冠だった藤井聡太さんの記者会見での言葉である: (日刊スポーツ松浦記者の質問)「宿泊されているホテルから富士山が見えたという話がありましたが、 今、藤井さんは富士山の何合目ぐらいまで登っているというイメージがありますか?」 (藤井竜王)「将棋はとても奥が深いゲームで、どこが頂上なのかは全く見えない。 いまだ頂上が見えないという意味では森林限界の手前。まだまだ上の方には行けていないと思います」 1) この地理的センスの良さには驚嘆! 急遽、この「森林限界の手前」と「上の方」の写真何枚かを追加する ことにした次第。 1) 言語学者 山岡政紀さんのブログより引用。 1979年8月2日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+35 20 11.92, +138 43 53.16 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 197° PanoraGeo-No.622 |
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ぼくとわたしの富士登山 3 / 17 | 前の画像へ | 次の画像へ |
登山バスの終点で、休憩所や駐車場などがある富士宮口登山道(富士宮ルート)
五合目(標高 2400m)付近には、人の背の高さより高い木が茂っているが、そこから登山道を 200m も
進まないうちに、この写真のような、背の低い草がまばらに生える開けた景観となる。
森林限界を超えて、亜高山帯から高山帯に入ったわけである。日本のほかの
山では、森林限界を超えた高山帯の低い部分にハイマツが茂ることが多いが、富士山にはハイマツがないため、
このように森林から草原へと一気に変ってしまう。富士山ができたのが新しく、また孤立した山であるため、
ハイマツの種が飛来していないためである。同じ理由から、富士山には高山植物の数も少ない。
これから登る斜面が一目で見渡せ、最高点の剣ヶ峰に設置された気象観測用レーダードームも
白い点となって見える。
1979年8月2日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):35°20'14.48, 138°44'4.64 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 354° PanoraGeo-No.296 |
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ぼくとわたしの富士登山 4 / 17 | 前の画像へ | 次の画像へ |
ぼくとわたしの自己紹介です。ぼく:ホッくん、5歳半で保育園の年長組、
本格的な山登りは初めてです。わたし:ハーちゃん、7歳で小学2年生、前の年に谷川岳に登ったり
して自信をつけています。今日泊まる八合目の小屋まではもう一息、がんばりまーす! 足元の崖には、富士山の表層部をつくる岩石が層をつくっている。最上位のツルッとした 感じの黒い岩石とその下のやや赤みを帯びたザラザラとした感じの層は「富士宮八合目溶岩流」と よばれる玄武岩の溶岩、一番下の赤いザラザラした層は、スコリア(発泡して空隙の多い玄武岩質 火山礫、岩滓<がんさい>ともいう)の層であるが、スコリア粒子は堆積後に 自分の熱で溶けあってくっつき、すなわち溶結して、また、酸化して赤くなっている。今から 2300 年前の大噴火の産物で、この噴火を最後に、富士山の噴火は山頂ではなく山腹で起きるようになった。 富士山は、このように、溶岩とスコリアのような火山砕屑物が層をなして山体をつくる典型的な成層火山である。 資料: 産業技術総合研究所(2016)富士火山地質図の読図、火山活動などの年代も本図の説明書による。 1979年8月2日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+35 20 58.52, +138 44 7.46 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 58° PanoraGeo-No.297 |
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ぼくとわたしの富士登山 5 / 17 | 前の画像へ | 次の画像へ |
標高 3250m の八合目の小屋で一泊後、頂上を目指す。九合目(3460m)を過ぎたところで
小休止。振り返ると、九合目の小屋の屋根がすぐ下に見え、その向こうに円錐形の宝永山
(2693m、写真中央)と、その右、山小屋の向こうに宝永火口がわずかに見える。宝永火口は、手前
から第1、第2、第3という三つのの火口が数珠つなぎに並んでいるが、写真では最も手前の
大きい第1火口は見えず、宝永山の右斜面と平行する右下りの地形が、第2火口と第3火口を境する尾根である。
宝永山と宝永火口は、1707 年(宝永4年)に富士山の南南東山腹で起きた、富士山でもっとも新しい
噴火の産物である。まわりを見てみると、雪渓が出てきて、草は全く見られない。このように植生が
まったくない状況は八合目あたりから始まる。
1979年8月3日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+35 21 19.59, +138 43 56.29 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 129° PanoraGeo-No.298 |
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ぼくとわたしの富士登山 6 / 17 | 前の画像へ | 次の画像へ |
九合目付近を頂上へ向かいがんばって登るぼくとわたし。早々と頂上をきわめて
降りてくる一団とすれ違い、登山道は大混雑。行く手には九合五勺の山小屋(標高 3590m)が見える。
この山小屋、称して胸突(むなつき)山荘。物事を成し遂げる上での最後の難関とか正念場という意味の
「胸突き八丁」という言葉は富士山のこの区間に由来する。八丁は 872m なので、まさに
この地点から上、火口を取り巻く尾根に登りつくまでの道のりである。写真右端の峰が火口を取り巻く峰の
ひとつの三島岳(みしまがたけ)だから、もう一息だ。
1979年8月3日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+35 21 19.59, +138 43 56.29 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 312° PanoraGeo-No.299 |
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ぼくとわたしの富士登山 7 / 17 | 前の画像へ | 次の画像へ |
ようやく富士山頂にたどり着いた。ただし、ここは標高 3712m の浅間大社奥宮で、
標高 3776m の地理的な富士山頂とは別である。ここは、富士宮市の富士山本宮浅間大社を起点とした
信仰登山者にとっての富士山頂である。歴史的には、長い間、富士山は修験道者や富士講信者などの
信仰登山の場であったわけで、ここを富士山頂とする意味は十分認められる。この奥宮をはじめとした
「富士山頂の信仰遺跡群」は富士山世界文化遺産の主要な構成資産である。富士山の八合目より上は
この浅間大社奥宮の境内、すなわち富士宮市に総本宮を構え、全国に 1300 あまりある浅間神社の
所有地である。
1979年8月3日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+35 21 34.53, +138 43 52.20 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 14° PanoraGeo-No.300 |
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富士山頂上にある火口の北東四半部である。スカイラインには火口縁をなす峰々が並んでいる。
画面左端に白山岳の東斜面が見え、それから右へ、緩やかに高まる久須志岳、傾いた薄い地層の末端の高まりである
大日岳、そして一番右の高い峰が伊豆ヶ岳である。これらの峰に取り巻かれた火口の中心部は、垂直な崖で囲まれた
大内院とよばれる深い穴である(参照:富士山山頂部の地形図)。 大内院を囲む火口壁の下部は、落石が貯まった崖錐の斜面であるが、その上部はほぼ垂直な崖になっていて 火口縁の峰々をつくる岩石が露出している。富士山の現在の形は今から 3500 年くらい前までにほぼ出来上がっていたが、 その後 2300 年前までの間に起きた何回かの噴火によってさらに高さを増した。これが富士山最後の山頂噴火で、以後の 噴火はすべて山腹からのものである。 この写真の崖に見られる岩石はこの最後の山頂噴火でできたもので、大部分がアグリチネート(岩滓集塊岩)と呼ばれる 岩石である。火口から飛沫状に噴出され落ちてきた大量の高温岩片が急速にたまると、内部にこもった熱で溶けて 岩片相互が溶接された状態になり、冷えると固い岩石になる。この現象が溶結で、できる岩石が アグリチネートである。当然、アグリチネートは火山の火口付近に多い岩石である。アグリチネートの 溶結が強く起きた部分では、岩片は完全に溶けて溶岩のようになり、緻密な岩石ができる。伊豆ヶ岳直下の垂直な 火口壁で柱状節理(縦縞の割れ目)が発達する部分はそのような強溶結のアグリチネートである。 1979年8月3日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+35 21 35.78, +138 43 49.30 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 29° PanoraGeo-No.623 |
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富士山頂上の火口を取り巻くいくつかの峰のうち、最も高いのが写真左端の
剣ヶ峰(3776m)で、その頂に気象観測用の富士山レーダーが設置されていた。1964 年に完成、
翌年3月から運用が開始され、とくに南方海上から接近してくる台風の観測に威力を発揮した。しかし、
気象衛星などの気象観測技術の進化によってその役割を終え、1999 年に引退。レーダードームは山麓の
富士吉田市郊外に移設され、富士山レーダードーム館になっている。 写真の中央から右にかけて見えるのは、富士山火口の主体をなす大内院の西部である。大内院内の北向き〜東向き 斜面は、気温が上がる昼から午後にかけ、大内院を取り巻く垂直な岩壁の陰になるために残雪が最も多い。 地理院地図でも、剣ヶ峰の東のこの部分が、富士山頂上部でもっとも 万年雪が 多いところとされている(参照:富士山山頂部の地形図)。 1979年8月3日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+35 21 36.06, +138 43 47.62 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 293° PanoraGeo-No.321 |
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ぼくとわたし、剣ヶ峰の頂上に到着。「日本最高峰富士山剣ヶ峰 三七七六米」
と彫られた石柱と、その右に、丸みをおびた保護用の石に半ば隠れて、小さい白い角柱の三角点標石がある。
この三角点は日本一の富士山頂にふさわしい一等三角点かと思いきや、なんと二等三角点!
また、本当の最高点はこの三角点ではなく、ここより 12m ほど離れた写真左端に見える岩の頂で、
現地測定で得られた標高は 3776.2m あまりである。地理院地図にある 3776m という標高は
この値を四捨五入したものである。一方、富士山三角点の標高は、三角点柱石の高さ約 0.2m
を含めて 3775.51 mである。(富士山頂上部の地形図参照) この最高点の岩や足元にある岩は、どこかで見たことがあるガサガサの赤い岩…、 そう、八合目付近で溶岩の下にあったあれである。 これは約 2300 年前の富士山最後の山頂噴火で放出され、熱いまま落ちてきたスコリアが 熱でくっつきあったもので、溶結程度の低いアグリチネートである。 山頂部をはじめ、西、南、東の山腹にひろく分布するこの噴出物は「剣ヶ峰噴出物」とよばれる。 背後に見える頂の尖ったピークは、火口を取り巻く峰の一つで、剣ヶ峰に次ぐ高さの白山岳(3756m)である。 その左の斜面には、「釈迦の割石」とよばれる垂直の岩壁が見える。 1979年8月3日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+35 21 38.08, +138 43 38.28 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 25° PanoraGeo-No.322 |
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富士山頂の火口を一周する「お鉢巡り」の道で、日本最高点の剣ヶ峰
から西安河原(にしやすのかわら)という小さな平坦地へ下るところである。西安河原は
富士山の火口の縁にある棚状の平地で、今の深い火口(大内院)ができる前にあった浅い火口の底の一部が
残ったものと考えられる。西安河原にある赤い建物は、富士山頂で航空医学を研究していた
陸軍軍医学校の富士分業室とのこと。さすがに、今ではこの無骨な建造物は撤去されたが
基礎だけは残っている。 写真右上のスカイラインに「釈迦の割石」とよばれる垂直な岸壁が見える。 かつては溶岩と考えられていた「釈迦の割石」の硬い岩石は、最近の研究では、空中に飛沫となって 放出された火山礫などが、半ば液体の状態のまま降り積もり、粒子がくっつきあってできた、 溶結程度の高いアグルチネート(岩滓集塊岩)とされている(産業技術総合研究所(2016)富士火山地質図)。 この種の岩石は、富士山のような玄武岩質マグマを噴出する火山に多い。 「釈迦の割石」の手前に見える小さな凹地は富士山頂のもう一つの火口で小規模な小内院である。 1979年8月3日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+35 21 41.46, +138 43 38.63 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 359° PanoraGeo-No.323 |
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富士山頂のお鉢巡りの道を時計まわりで行くと、剣ヶ峰を過ぎた西安河原
(にしやすのがわら)で外輪廻りと内輪廻りに分かれる。現在では外輪廻りが本道に
なっているようであるが、ホッ君とハーちゃんは内輪廻りをとり、西安河原からもう一つ下の平坦地
(第二火口棚)へ下る坂道の途中の岩陰で昼食をとることにした。弁当を出そうとリュックを
開けてみてびっくり!! パンパンに膨らんで、今にも破裂しそうなリッツがあった。
大まかに言って富士山頂の気圧は海面の 2/3 である。したがって「気体の体積と圧力は反比例する」という
ボイルの法則で、袋の中に閉じ込められた空気は3/2倍、すなわち 1.5 倍に膨張したわけだ。
怪訝そうな表情のホッ君。リッツが増えたわけじゃないんだよ、期待しないでーー(^^♪
1979年8月3日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+35 21 49.58, +138 43 41.46 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 350° PanoraGeo-No.624 |
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富士山の火口には、垂直な崖で囲まれ 200m 以上も落ち込んだ大内院と呼ばれる
凹地の縁に、棚のようにへばりついた平坦な火口棚がある。火口南部の第一火口棚と北西部の
第二火口棚があり、この写真中央部の平らなところは後者である。右端に大内院の一部が見える。遠方のなだらかな
峰が八神峰のひとつ久須志岳(3725m)で、その右のふもとに、これから向かう吉田口/須走口登山道の
頂上にある久須志神社や山小屋が小さく見える。第二火口棚は火山活動時に、火口を満たしていた溶岩湖*1)
(マグマの湖)が冷え固まってできた平地の一部が残ったものである。この火口棚の溶岩湖は
今から2500 年くらい前のものらしい。 食後の運動は崩れてきた土砂に埋もれたいわゆる万年雪を掘り出して遊ぶ。国土地理院の地図で 万年雪として表記されるのは、残雪のうちで「9月のときに50メートル×50メートル以上のあるもの*2)」 とのこと。富士山火口の万年雪は大内院の中の北向き〜東向き斜面に多いが、 お鉢巡りの近くでアクセスが容易なのは第二火口棚南西のこの場所くらいしかない。 ここは剣ヶ峰から北に延びる尾根の陰になって日当たりが悪いところである (富士山頂上部の地形図参照)。 *1)溶岩湖を認定した文献としては 産業技術総合研究所(2016)富士火山地質図の解説および 安井真也ほか(2003)などがある。 *2) 国土地理院 HP 1979年8月3日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+35 21 49.58, +138 43 41.46 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 58° PanoraGeo-No.625 |
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下山には吉田口登山道(吉田ルート)を使うことにした。写真は、頂上から
高さで 500m くらい下り、須走口登山道(須走ルート)が分岐する八合目付近から見た吉田大沢
である。
頂上の白山岳〜久須志岳の直下に発して北東に下る吉田大沢の谷は、富士山を刻む谷としては、
西斜面にある大沢崩れと並んで、もっとも規模が大きい谷である。ただし、大沢崩れは谷底を激しく
掘り込む深いV字谷であるのに対し、吉田大沢は、切り立った谷壁の崩壊によって谷幅を広げてゆく
タイプの谷である。その横断形は幅の広いU字型であるが、谷氷河がつくるU字谷ではない。
富士山の現在の山体がほぼ完成した 3500 年前には氷河時代はとっくに終わっていたからである。
吉田大沢の砂礫で埋まった谷底の幅は、上流部で広く 400m ほどあり、八合目あたりから下では狭くなるが、
それでも 200m くらいはある。写真には、吉田大沢の切り立った谷壁と砂礫で埋まった谷底、
そしてそこを砂塵を上げて砂走りする下山者が見える。吉田大沢は昔から吉田口登山道の
下山コースとして利用されていた。
1979年8月3日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+35 22 14.56, +138 44 27.24 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 329° PanoraGeo-No.324 |
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吉田大沢の砂走りを楽しむ大勢の登山者。
行く手に小さく見える赤い屋根は五・五合目の経ヶ岳六角堂。その右手前の左右に長い屋根は
砂走りの終点、六合目雲海荘(焼失して今は無い)。みんなに交じって、ぼくとわたしも
レッツゴー。砂走りは須走口登山道や御殿場口登山道の下山コースでも可能で、
いわば富士登山の呼び物の一つである。ただ、砂走りの「砂」は、須走口・御殿場口登山道では
宝永山が噴出した細かいスコリアであるが、吉田大沢の場合には、まわりの崖から落ちてきた
砂礫なので、時にはかなり大きな角礫が混じっている。転んで頭を打たないよう気を付けよう!
ところが、もっと気を付けなければならないことがあった。ぼくとわたしが駆け抜けたまさに
この場所で、翌年 1980 年の夏、12 名の方が亡くなるという大事故が起きた。
吉田大沢落石事故である。
その結果、長年続いてきた吉田大沢の砂走りは終わってしまった。
1979年8月3日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+35 22 43.38, +138 44 29.54 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 36° PanoraGeo-No.325 |
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吉田大沢の砂走りを無事に終え、かつて雲海荘があった六合目に到着。よく頑張った
ご褒美に、ぼくとわたしはスバルライン五合目のバスのりばまでお馬さんに乗って下ることに )^o^(。
よその子が羨ましそうに見ているよ。 1980 年の落石事故以降、富士山吉田コースの変貌は著しい。この写真は六合目からスバルライン五合目 に向かう登山道が吉田大沢を横切るところであるが、現在ではシェルター(洞門)で覆われている。 六合目から八合目にかけては、おびただしい数の落石除けの堤防(導流堤とよばれる) がつくられた。その自然との不調和さは、世界文化遺産を審査する機関から「巨大な防御壁による圧力が、 山岳の神聖な雰囲気を阻害している」と指摘されるほどである ( 登山道の巨大人工壁(ストリートビュー) )。世界文化遺産にふさわしいか否かでこのような指摘があるようでは、自然がいのちの世界自然遺産に 認定されるわけがない。 1979年8月3日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+35 23 8.64, +138 44 46.53 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 103° PanoraGeo-No.326 |
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登りに使った富士宮ルートの起点に近い静岡県富士山世界遺産センター
から始まったこのテーマのエンディングは、下山に使った富士山吉田口登山道(吉田ルート)
の起点近くにある富士山レーダードーム館。山頂にあった気象観測用のレーダードームを移設して
科学館としたもの。信仰登山における吉田口登山道の起点、北口本宮富士浅間神社はここから2q 足らずの
ところにある。気象庁の職員としてレーダードームの建設にかかわった作家の新田次郎のコーナーもある。
このレーダーが活躍したのは1964年から 1999 年までの 35 年間、長かったというか短かったというか。
1977 年には静止気象衛星(俗称ひまわり1号)が打ち上げられており、ぼくとわたしが富士登山をした
1979 年には、レーダードームのライバルはすでに現れていたのである。
2018年7月7日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+35 27 30.61, +138 48 11.81 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 189° PanoraGeo-No.327 |
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Enlarged and revised on 22 February, 2022