1983 年 10 月3日、三宅島、雄山の噴火で流出した溶岩流によって埋没されつつある阿古小・中学校の校舎。 左から、三階建ての小学校校舎、切妻屋根が破壊されつつある小学校体育館、向きが変わって、二階建ての真新しい中学校校舎(1975年改築)。 その右の地表面に、半ば木で隠れてプールとぐしゃぐしゃに変形した中学校体育館、そして、その向こうの噴煙の手前に、給食センターの屋上が見える。 この後も溶岩流は少しずつ動き、例えば、給食センターは、最終的には、本文 10 ページの写真のような状態になってしまった。
写真の原典: 東京都(1985): 記録 昭和58年 三宅島噴火災害。
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テーマ 14. 三宅島1983年噴火 P.10 の資料