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三宅島1983年噴火 5 BACK⏎ ⇒NEXT 直前のページに戻る |
裏山の急斜面を流れ下った溶岩は阿古集落のある平坦地に入ると左右に
大きく広がったため、海に達する寸前で停止したが、そのために、広大な面積の集落が溶岩流に
埋没されるという悪い結果になってしまった。東京都の資料では、「溶岩流は、
330 世帯の住家や阿古小・中学校、給食センターなど主要な公共施設を一夜にして焼失埋没
させてしまった」という。この噴火による死者・行方不明者がなかったのは不幸中の幸いである。
写真は災害7年後、被災前の写真とほぼ同じ地点から撮ったもの
である。ある。右手海岸近くには、すんでのところで埋没を免れた阿古集落の一部があり、
溶岩原を横切ってそこへ通じる道路が再建されている。左手の遠方に見える白い大きなビルは旧阿古
小学校の校舎(小・中学校の北校舎)で、その左に中学校校舎の埋没を免れた高い部分が見える。
1990年11月3日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+34 4 46.06, +139 29 6.29 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 283° |
PanoraGeo-No.256 | 直前のページに戻る BACK⏎ このテーマ 5/6 ⇒NEXT |