![]() 溶岩で埋まった阿古中学校と給食センターAko Junior High School and School Lunch Center buried in lava |
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![]() ![]() ![]() テーマ 14 三宅島1983年噴火10 BACK⏎ ⇒HOME 直前のページに戻る |
10 月3日 15 時 23 分、雄山の中腹から流出した溶岩流は、約2時間後に阿古集落の入口に到達、その後、人家を焼き埋没しながら進んで、海岸の阿古小・中学校に達した。
ニ階建ての中学校校舎の屋上まで達した溶岩の厚さは 10m くらいと推定され、ほかの場所に比べてかなり厚い。
これは、阿古小・中学校のある場所が阿古の平野の中で最も低く、少しでも低いところを選ぶ溶岩の流れの中心に当っていたこと、および鉄筋コンクリートの頑丈な校舎に堰止められたためと思われる。
写真の左端にわずかに見えるのが中学校校舎の屋上で、手前には溶岩でほとんど埋まった状態の給食センター。
この左には中学校の体育館の大きな建物があったが、中ががらんどうの建物は強度が低いのか、跡形もない(参照:溶岩流に被災中の阿古小・中学校)。
10 月3日は、前日あった運動会の代休で生徒はいなかった。
先生方は噴火の情報が入ると重要書類などの持ち出しのために学校に駆けつけた。
通常、台風などの避難場所はこの小・中学校になっていたようで、噴火の一報が入った当初、避難する人たちが学校に集まって来た。
しかし、溶岩流発生という状況が分かると、即座に避難場所が島北部の三宅中学校に変更され、避難用の村営バス 11 台が阿古小学校前バス停に到着した。
この的確な判断に従った住民全員がバスや乗用車で三宅中学校などに避難し、一人の犠牲者も出なかった。これは特筆すべきことである。
1990年11月3日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+34 4 44.01, +139 28 42.75 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 72°
PanoraGeo-No.258
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