Tracks of the Madeira-Mamoré Railway near Santo Antônio Station

サントアントニオ駅付近の
マデイラ・マモレ鉄道の線路

Tracks of the Madeira-Mamoré Railway near Santo Antônio Station

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マデイラ・マモレ鉄道
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The suburban section of the Portovelho of the Madeira-Mamore Railway, which is listed as a historical heritage site

ブラジル文化遺産に登録されたマデイラ・マモレ鉄道
ポルトヴェーリョ郊外区間*2)

赤い線はポルトヴェーリョ駅構内(B)とサントアントニオ駅(D)の間8㎞ のマデイラ・マモレ鉄道線路。 Cはカンデラリア墓地(鉄道建設工事で死亡した約 1600 人が埋葬されている--参照:ニッケイ新聞記事)、Aは3基の給水塔。
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 マデイラ・マモレ鉄道が始発駅ポルトヴェーリョ駅を出ると最初に止まる駅はサントアントニオ駅。 この写真はその駅があった場所の 2007 年の状況である。 通常の営業が終了して 35 年経っているので、その間何の手入れもしなければ、旺盛な森が再生してジャングルになっているはずである。 しかしこの写真では、駅舎はもはや無いが、線路は無傷に残っており、少し草を刈れば列車の運行も可能な状態に見える。 このように保存がよいのには二つの要因がある:
 一つは 1981 年からしばらくの間、ポルトヴェーリョとここまでの区間、週末に観光列車が運行されていたことである。 翌年には、観光列車はポルトヴェーリョから 25㎞で、やはり早瀬があるテオトニオ駅まで延長された。 このほか 1984 年には上流のターミナルグアジャラミリン駅からイアター駅までの 20㎞ にも観光列車が運行された。 しかし 1991 年には、ここサントアントニオ駅までの観光列車を除いてすべて運行を停止、ここまでの運行も不定期となり、2000 年に終了した*1)
 二つ目は、2006 年にこの鉄道のポルトヴェーリョ郊外区間が国の文化遺産(Patrimônio Cultural Brasileiro)に認定されたことである。 観光列車運行の再開が期待され、線路の手入れも行われた。 サントアントニオ地区では、駅舎が再建されたり昔の気動車が一時的に運行されたりしている。 しかし、ポルトヴェーリョ駅構内が整備されて観光施設「マデイラ・マモレ鉄道複合施設」になったが、観光列車の運行は実現しなかった。

*1) Alemcar.C.P.de(2012): Trilhando memorias: reflexoes acerca des edentidades dos trabalhadores da Estrad de Ferro Madeira-Mamore(ポルトガル語 7.9 MB) p.28
*2) 同上:p.115

2007年3月18日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-8 48 32.09, -63 56 38.33 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り246°

PanoraGeo-No.304   🔍拡大

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