ライトラインのホームストレッチ、かしの森公園通りHome stretch of the RIGHTLINE, Kashinomori Park Street |
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ライトラインのホームストレッチ(最終走路)をゴールの⑲芳賀・高根沢工業団地停留場から南望した。
直線的なかしの森公園通りを挟んで左は芳賀・高根沢工業団地の大半を占める本田技術研究所の敷地、右側はかしの森公園である。
この工業団地が立地する宝積寺台地(鬼怒川左岸台地)の台地面はこの写真でもわかるとおりきわめて平坦である。
この台地の大部分を占める宝積寺段丘の形成時代については、大宮台地や下総台地と同じ 12.5 万年前の最終間氷期(下末吉期)という説がかつて定説であった(例えば、貝塚爽平*1)、関東ローム研究グループ*2)など)。その根拠のひとつはこのような平坦地が広く残っていることだったことは想像に難くない。
しかし、この段丘をつくる厚さ十数mから 20mに近い火山灰層(ローム層)の分析の結果、現在では宝積寺段丘は約 25 万年前というかなり古い時代に形成されたものと考えられるようになった。
写真の遠景、かしの森公園通りの先に見えるのは茨城県の山である。二つの峰が並んでいて筑波山のように見えるがそうではない。
同じ筑波山塊でもその北部に位置する加波山(右、709m)と燕山(左、701m)の二峰である。筑波山より若干低いが周りより十分に高く目立つ山である。
筑波山については「花崗岩は斑れい岩に比べるともろく浸食されやすいため、斑れい岩が山頂部を、周囲の花崗岩はそれより低い山体を作っています。*3)(原文のまま)」というのが定説になっている。しかし不思議なことに、侵食されやすいはずの花崗岩でできた加波山や燕山もこのように高く聳えている。定説ではどう説明するのだろうか。定説ではない説明は こちら 。
*1) 貝塚爽平(1958):関東平野の地形発達史
*2)関東ローム研究グループ(1965):「関東ローム:その起源と性状」、築地書館
*3)地質で語る百名山-筑波山
2024年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+36 34 42.52, +140 0 43.44 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 165°
PanoraGeo-No.724 🔍拡大