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2023 年8月 26 日、栃木県の県都宇都宮市に「宇都宮芳賀ライトレール線」という LRT が開業した。 LRT(Light Rail Transit)は「次世代型路面電車システム」と意訳され、小型の低床(ていしょう)路面電車(LRV: Light Rail Vehicle)とバス、タクシー、マイカーなど他の交通手段との乗り継ぎ(Transit)を考慮した新しい交通システムを意味する。 それまで 路面電車(トラム)がなかった都市がそれを導入するのは、1948 年に一部開通した富山県高岡市の路面電車(現在の万葉線)以来、75 年ぶりの出来事である。 宇都宮芳賀ライトレール線が画期的なのは、全線にわたって LRT の手法で建設されている点である。
軌間:1067㎜ 電圧:DC750V 定員:159人(座席 50 席) 長さ:29.52m 幅:2650㎜ 高さ:3625㎜
宇都宮芳賀ライトレール線の車両の愛称はライトラインという。ライトラインは都心の①宇都宮駅東口停留場から東の郊外の⑲芳賀・高根沢工業団地停留場まで 14.6㎞ を 44 分で走る。 両ターミナルを含め 19 の停留場がある。 郊外に造成された清原、芳賀台、芳賀・高根沢などの工業団地と都心との連絡の向上のほか、バスや自家用車などと連携した面的な交通ネットワークの軸となることを目指している。 ライトラインには時速 70㎞ まで出せる能力はあるが、法規(軌道運転規則)により 40㎞ までに抑えられている。
*1) 路線図は芳賀・宇都宮 LRT ホームページをトリミング
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橋上駅になっているJR 宇都宮駅の自由通路を東口に出て、エスカレーターで宇都宮芳賀ライトレール線①宇都宮駅東口停留場へ降りる途中、折よくライトラインが入線してきた。ここでしばらく時間調整したうえ折り返すこの可愛い車両に、今回の体験乗車は行きも帰りもお世話になった。
乗車する前に周囲を見回してみよう。広告の看板一枚見えない整然とした宇都宮駅東口。
写真左端には宇都宮出身で初代横綱の明石志賀之助の白い像のお尻が見える。この像がある画面左半分の広場はイベントなどが開催できる交流広場である。
この広場やライトライン停留場がある JR 駅東口一帯は「宮みらい」という名(住居表示)の再開発地区である。
この地名は横浜の再開発地区 みなとみらい 21(186 ヘクタール)に擬(なぞら)えたものと想像できるが、「宮みらい」は南北 420m×東西 250mほど(約 10 ヘクタール)の超ミニ「みらい」である。
それでも、コンベンション施設、ホテル、商業ビル、病院、立体駐車場があり、業務・商業・文化拠点としての機能が揃っている。
写真左にはこれらの施設の一つであるシンフォニー病院が見える。その右の大きなビルは宮みらいの外ではあるがやはり病院である。
宇都宮の「みらい」は、高齢者化で駅前にも病院が必要な未来を暗示・・・とは考えすぎか。
2024年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+36 33 32.93, +139 53 58.36 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 190°
PanoraGeo-No.712
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ライトラインは JR 宇都宮駅東口からまっすぐ東に伸びる鬼怒通りの中央を走る。
①宇都宮駅東口停留場より二つ目の③駅東公園前(えきひがしこうえんまえ)停留場から西向きに撮った写真で、突き当りが JR 宇都宮駅である。
地元の人は JR 宇都宮駅東口周辺一帯を駅東(えきひがし)と言うが、第二次世界大戦以前の駅東には田んぼがひろがり、わずかに峰などの農村集落がある程度であった。
1960 年代に宇都宮工業団地が造られたのをきっかけに駅東の道路の整備が進み、この鬼怒通りも 1977 年に開通した。
それから約半世紀、鬼怒通り沿線約1㎞ は、この写真のようにビルが並ぶビジネス街に発展し、その先には住宅街が続いている(参考:宇都宮市東部地域の都市化)。
ライトラインの停留場のプラットホームはレールや道路面から約 30㎝ と低く造られている。
ライトラインはこのプラットホームからステップなしに乗降できる超低床(ちょうていしょう)電車なので、車椅子やベビーカーを使う人にも便利である。東京の都電荒川線の場合、ステップなしにするためプラットホームを高く盛り上げたのとは対照的である。
2024年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+36 33 28.68, +139 54 27.47 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 276°
PanoraGeo-No.713
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3両編成のライトラインの2両目(手前)と3両目の内部の写真である。
2両目の車両(中間車両)には写真手前左のようにベビーカーや車いすの人が利用できるフリースペースがある。
写真手前の右端は出入り口で、乗車時には IC カードを下の緑のリーダーにタッチ、下車時には上の黄色のリーダーにタッチする。
出入り口近くの床にある黄色の線は、出入り口に向かってスロープになることを注意するもの。
ライトライン客室の床面は地面から 36㎝、出入り口は 30㎝ と6㎝ の差があるのでその間は緩やかなスロープになっている。
この床面や出入り口は JR の車両や普通の路面電車に比べるとかなり低い。
乗降の便利のためにこのように床面を著しく低くした電車を超低床電車(ちょうていしょうでんしゃ)と言い、近年の路面電車にはひろく採用されている。
超低床電車にも床の一部が高い部分超低床電車とこの写真のように全面が低い 100 %超低床電車がある。
もちろん、後者でも直径 66㎝ の車輪が床下に収まるはずもなく、車室に飛び出しているが、その上に座席を配置するなどしてカモフラージュしている。
100 %超低床電車は 1993 年にブレーメン市に導入されたドイツ製のものが最初と言われ、この後、様々な型の超低床電車が開発され、日本の国産車もある。
しかし日本の多くの都市がこのブレーメン型の超低床電車を導入している。
古いものでは 1997 年の熊本市、2002 年の岡山市、2004 年の富山県高岡市などがあり、良く言えばロングライフ商品、悪く言えば、原産国ドイツではもはや生産終了なのでアウトレット商品である。
ライトラインもブレーメン型超低床電車で、新潟トランシス社(旧新潟鐵工所)がドイツの会社からライセンスを得て製造したものである。
2024年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+36 33 18.04, +139 56 21.70 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 220°
PanoraGeo-No.714
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宇都宮駅東口から鬼怒通りを東へ約3㎞、ライトラインの⑥宇都宮大学陽東キャンパス停留場を少し過ぎたところで、街並みが突然途切れて田園地帯になる。
その境目は宇都宮の市街地が立地する2段の河岸段丘のうち高い段丘*1)の段丘崖で、崖の高さは7~8mある。
ここまで鬼怒通りの真ん中の併用走行区間を走って来たライトラインは、この崖の高度差をうまく利用した高架線で鬼怒通りを跨いで専用走行区間に入る。
その高架線がこの写真のようにしだいに低くなって、低い土地に着地したところがこの写真の⑦平石停留場である。
快速電車が運行される場合にはここが追越し場所になるので、線路が複雑に分岐している。
平石にはライトラインの車両基地や運営会社「宇都宮ライトレール株式会社」の本社ビルがあり、いわばここはライトラインの司令塔である。
車両基地に必要な広い土地は、市街地化が進んだ高い段丘の上には見つけにくいので、司令部は平石の低い土地になったのであろう。
ただ、低い土地とはいっても鬼怒川低地(氾濫原)よりは3mほど高い最低位段丘の上なので、2019 年の千曲川堤防決壊で多くの新幹線車両が水没したようなことが起こる可能性は小さい。
*1)宇都宮芳賀ライトレール線沿線の地形の(2)宝木(たからぎ)段丘面を参照
2024年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+36 33 17.75, +139 56 20.84 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 287°
PanoraGeo-No.715
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東へ向かう下り電車は、⑦平石停留場を出発すると間もなく、一面水田がひろがる鬼怒川低地(氾濫原)に出る。
水田のすぐ向こうの人家などがあるところが⑦平石停留場のある最低位段丘で、低地より3mほど高い。
遠方に見える山は高原山(たかはらやま)。美しい裾野を張っているので火山であることが分かる。
50 万年前ごろから活動をはじめ、主な活動は 30 万年ほど前、10 万年前には主な活動を終えた古い火山である。
最高点の釈迦が岳(1795m、中央部の雪を頂いた峰)や鶏頂山(1765m、左端)、西平岳(1712m、鶏頂山の右に近接)などの峰からなる。
侵食によって深い谷に刻まれていおり、火口などの痕跡は残っていない。
このように基本的には古い火山を「新しい活火山」と言うのはなぜか?
ひとつは、この火山の北麓で 6500 年前に噴火があり小規模な溶岩円頂丘(富士山あるいは新湯富士あらゆふじ)ができていること。
これに加え、火山噴火予知連絡会の活火山の定義が国際標準に則して「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」と変わったことにより、2003年、新たに活火山に認定された。・・・という意味での「新しい活火山」である。
2024年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+36 33 10.53, +139 57 13.96 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 340°
PanoraGeo-No.716
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鬼怒川を渡るライトラインの北の車窓からは、広々とした鬼怒川の河川敷の向こうに、落葉樹に覆われた小高い台地が見える。この台地には飛山城史跡公園がある。宇都宮駅からのライトラインが鬼怒川を渡って最初に停まるのが⑨飛山城跡(とびやまじょうあと)停留場である。飛山城は宇都宮氏の家臣であった芳賀氏(清原氏)の居城で、1290 年代(鎌倉時代後期)から 1590 年代(安土桃山時代)までの約 300 年間にわたり存在していた。飛山城は、箱根山山腹の厚い火山灰層を掘って造られた山中城(静岡県三島市)と同じ、土塁や土の堀で守りを固めた戦国時代の「土の城」である。
鬼怒川の左岸に広がる台地は宝積寺台地(ほうしゃくじだいち)または鬼怒川左岸台地など呼ばれている。その大部分は地質的には宝積寺段丘という河岸段丘であるが、飛山城があった台地は異質である。宝積寺段丘ができた時代(離水時期ともいう)は 25 万年前ごろであるのに対し、飛山城の段丘は 35 万年前ごろとかなり古い。
そのため、段丘になった後の長い時間に堆積した火山灰層(いわゆる関東ローム層)は 30m前後と極めて厚い。この写真で見える飛山城台地の鬼怒川に面する段丘崖の高さは約 30mなので、台地全体がローム層で出来ていることになる。このように厚い火山灰層があることによって、ここに強固な「土の城」を築造し得たのであろう。
2024年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+36 33 9.84, +139 57 15.70 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 63°
PanoraGeo-No.717
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宇都宮駅東口を出たライトラインは約 20 分後に長さ 643m の鬼怒川橋梁を渡り、対岸(写真右端)の宝積寺台地(ほうしゃくじだいち)へ入る。
この写真はライトラインの北側の車窓から上流を望んだもので、鬼怒川の清流が中州の間を分岐・合流を繰り返しながら流れている。
このような川の流れを網状流と言う。扇状地のように勾配が急で砂礫を大量に流している川に見られる河床形である。
宇都宮市付近の鬼怒川低地は、あまり広くなく扇状地という感じではないが、宝積寺台地の東にひろがる五行川の低地と合わせれば立派な扇状地である。
橋の長さで川幅(堤防間の河川敷の幅)を代表させると、宇都宮市郊外の鬼怒川の川幅は、最も広いのが LRT より二つ上流の板戸大橋の 920m、最も狭いのが LRT 一つ下流の旧鬼怒橋(国道123号)の559.4mで、ざっと見て 700~800mである。これに対し、下流の茨城県に入ると、最も広いのは旧川島橋(国道 50 号)の 447.2m、狭いのは国道 125号(下妻市-八千代町)の 245.0mである*1)。川幅は一般に 300~400mと宇都宮近郊の約半分である。宇都宮市郊外のように川幅が広いのは河床が礫で勾配が大きい扇状地河川の特徴であり、茨城県内のように川幅が狭いのは河床が砂泥で勾配が小さい氾濫原の蛇行河川の特徴である。栃木県人と茨城県人では鬼怒川の印象は全く違うかもしれない。
*1) 遊水地化され河川敷が広げられている鬼怒川大橋(筑西市関本-結城市、625m)を除く。
2024年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+36 33 4.21, +139 57 27.37 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 27°
PanoraGeo-No.718
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宇都宮芳賀ライトレール線鬼怒川橋梁から西を望むと、正面に男体山のボリュームある山体が横たわり、少し離れた写真右端に女峰山(にょほうさん)が並んでいる。
日光火山群の主役たちである。両火山の間には大真名子山、小真名子山という二つの火山があるが、うっすらと雲に巻かれて見えない。
この豊かな自然を背景に、直線が組み合わさった幾何的な人工美を呈する鬼怒川橋梁、このコントラストは LRT 随一の絶景である。
「鬼怒川が LRT をつくる要因だった」?? この体験乗車案内役の Kob さんのこの言葉、はじめは何のことか分からなかったが、説明を聞いて納得した。
鬼怒川左岸に清原工業団地などが造成され、宇都宮市街からの行き来で鬼怒川を渡る人が増えたが、この大河を渡る橋は少なく日常的に大渋滞が発生。
その解決策の一環がこの LRT の建設だったというわけである。
2024年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+36 33 0.61, +139 57 34.55 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 303°
PanoraGeo-No.719
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田園区間も走るライトラインの行程の中でもっとも田園らしいところは、この⑨飛山城跡(とびやまじょうあと)停車場付近であろう。
この停留場は鬼怒川左岸(東岸)の低地に若干の盛り土をしてつくられている。ライトラインの停留場は黒を主体としたシンプルな都市的デザインに統一されているが、田園地帯でも違和感はない。
上り下り両方のホームの屋根に高く掲げられた黄色いLのシンボルマークは印象的である。
このシンボルマークや車体に多用されている黄色は、雷都(らいと)と呼ばれるほど雷が多い宇都宮市を象徴する稲妻のイメージという。雷は雨を呼び豊作をもたらす自然の恵みである。
写真中景の林は鬼怒川の河川敷内に茂る森林で、その手前に堤防が見える。ライトラインの線路は鬼怒川橋梁に向かって高度を上げて行く。
その向こうに見える男体山は、このテーマ P.5 の高原山で使った意味では「日本でいちばん新しい活火山」である。
その主な活動開始は今から約3万年前と比較的新しいが、歴史時代に噴火した証拠がなく、活火山にされていなかった。
しかし、男体山の山頂火口で 7000 年前に噴火があったことを明らかにした最近の研究結果に基づき、2017 年6月 20 日付で、火山噴火予知連絡会は男体山を活火山と認定した*1)。
日本に 111 ある活火山のうち男体山は 111 番目の活火山である。もちろん、男体山の活動が最近活発になったというわけではない。念のため。
2024年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+36 32 52.73, +139 57 50.95 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 302°
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鬼怒川を挟んだ約5㎞の田園地帯の専用走行区間を過ぎて宝積寺台地にあがると、下りのライトラインは再び路面電車になって⑪清原地区市民センター前停留場に着く。
清原工業団地は 1970 年代に造成され、当時としては国内最大規模だった内陸型工業団地である。面積 387.6ha、2022 年時点で 35 社が操業し、従業者数は 13600 人(非常勤・派遣を含む)という規模である*1)。
清原地区市民センター前停留場は清原工業団地の中央に位置し、工業団地を南北に縦貫する清原中央通りとの交差点にある。
下りのライトラインは停留所を出ると路面電車の小回りを生かして左に 90 度曲がり、清原中央通り沿いの専用走行区間に入り北上する(このテーマ冒頭の路線図では併用走行区間になっているが実態はバラスト軌道の専用走行区間である)。
写真はその反対に、清原大通りを左から南下して来てこれから右折して停留所に入る上り宇都宮駅東口行きのライトラインである。
写真左端の2枚の青い看板はトランジットセンター(乗り継ぎ拠点)の入口を示している。
これは各種の交通機関でここまで来て、ライトラインに乗り換えて宇都宮都心に向かう人のための施設である。定期バスやタクシーの乗り場、駐車場、駐輪場、待合所、トイレなどがある
(参照:
清原地区市民センター前トランジットセンターの画像*2))。LRT (次世代型路面電車システム)ならではの施設である。
なお、清原中央通りは、近い将来、国道 408 号の一部になるはずの道路である。
この国道は千葉県成田市から茨城県の筑波研究学園都市を経由し、ここを通って宝積寺で国道4号に入るもので、東関東から東北地方へ抜けるには便利な道路。
他県の人も、このトランジットセンターに駐車(無料)、ライトライン 300 円で宇都宮の都心へ・・・というトランジットを知っておいて損はなさそう。
*1) 清原工業団地総合管理協会(2022):清原工業団地概要
*2)芳賀・宇都宮LRTホームページ p.12 の画像を原図にしてトリミング、加筆
2024年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+36 32 51.76, +139 59 4.54 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 21°
PanoraGeo-No.721
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ライトラインの運賃支払いは SUICA や PASMO のような交通系ICカードを利用するのが便利であるが、もちろん現金でも可能である。
その場合、乗車はどのドアからでも良いが、降車は運転手の前で整理券と運賃を料金箱に入れ、最前方のドアから降りることになる。
そのため、料金箱、両替機、運賃表示器などは運転手室の近くに設置されている。
乗車停留場を証明する整理券は、車内ではなく停留場に設置された発券機で手に入れておく必要があるが、
発券機は下りる時のことを考えてホーム進行方向前方に置いてある。
写真の運賃表示版には終点一つ手前の⑱かしの森公園までのもので、始発の①宇都宮駅東口から400円、直近の⑰芳賀町工業団地管理センター前から150円となっている。この料金は終点の⑲芳賀・高根沢工業団地まででも変わらない。すなわちライトラインの最大運賃は400円、最小運賃(初乗り運賃)は150円である。遠距離になるとバス運賃の約半分ほどでかなり割安感がある。
2024年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+36 34 12.15, +140 0 50.10 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 15°
PanoraGeo-No.722
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宇都宮芳賀ライトレール線によって宇都宮市街と結ばれた清原工業団地、芳賀工業団地、芳賀・高根沢工業団地などの工業団地は宝積寺台地(ほうしゃくじだいち)の平坦面に造成されている。 宝積寺台地は、西の鬼怒川、東の五行川の低地に挟まれた台地で、紡錘形をした主体部だけでも南北約 30 ㎞、東西 5.5㎞、細部まで含めると45㎞にもなる長大な台地である。 周囲の低地からの比高は 20~25mある。その大部分は今から 25 万年前ごろに出来た宝積寺段丘というかなり古い河岸段丘である*1)。 古い割には平坦な段丘面が広く残っているが、ところどころに大きな開析谷が入り込んでいる。上記の各工業団地のある平坦地はそのような開析谷によって分けられている。 写真は芳賀工業団地のある台地(遠方)と芳賀・高根沢工業団地のある台地(手前)を隔てる谷津川の谷である。 かしの森公園通りやその中央を走るライトラインの線路が美しい曲線を描いてこの谷をを横断している。 遠方、坂の上の交差点では車の右折車線のために線路を曲げるなど、車との共存に気を使った様子が読み取れて微笑(ほほえ)ましい。
*1)宇都宮芳賀ライトレール線沿線の地形の(5)宝積寺(ほうしゃくじ)段丘面を参照
2024年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+36 34 15.25, +140 0 51.90 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 206°
PanoraGeo-No.723
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ライトラインのホームストレッチ(最終走路)をゴールの⑲芳賀・高根沢工業団地停留場から南望した。
直線的なかしの森公園通りを挟んで左は芳賀・高根沢工業団地の大半を占める本田技術研究所の敷地、右側はかしの森公園である。
この工業団地が立地する宝積寺台地(鬼怒川左岸台地)の台地面はこの写真でもわかるとおりきわめて平坦である。
この台地の大部分を占める宝積寺段丘の形成時代については、大宮台地や下総台地と同じ 12.5 万年前の最終間氷期(下末吉期)という説がかつて定説であった(例えば、貝塚爽平*1)、関東ローム研究グループ*2)など)。その根拠のひとつはこのような平坦地が広く残っていることだったことは想像に難くない。
しかし、この段丘をつくる厚さ十数mから 20mに近い火山灰層(ローム層)の分析の結果、現在では宝積寺段丘は約 25 万年前というかなり古い時代に形成されたものと考えられるようになった。
写真の遠景、かしの森公園通りの先に見えるのは茨城県の山である。二つの峰が並んでいて筑波山のように見えるがそうではない。
同じ筑波山塊でもその北部に位置する加波山(右、709m)と燕山(左、701m)の二峰である。筑波山より若干低いが周りより十分に高く目立つ山である。
筑波山については「花崗岩は斑れい岩に比べるともろく浸食されやすいため、斑れい岩が山頂部を、周囲の花崗岩はそれより低い山体を作っています。*3)(原文のまま)」というのが定説になっている。しかし不思議なことに、侵食されやすいはずの花崗岩でできた加波山や燕山もこのように高く聳えている。定説ではどう説明するのだろうか。定説ではない説明は こちら 。
*1) 貝塚爽平(1958):関東平野の地形発達史
*2)関東ローム研究グループ(1965):「関東ローム:その起源と性状」、築地書館
*3)地質で語る百名山-筑波山
2024年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+36 34 42.52, +140 0 43.44 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 165°
PanoraGeo-No.724
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ライトラインの郊外側ターミナルは⑲芳賀・高見沢工業団地停留場である。
芳賀・高見沢工業団地は芳賀町と高見沢町にまたがる 226.4ha の工業団地で、芳賀町が 117.3ha、高根沢町が 109.1ha 占めている。
ターミナルの停留場は両町の境界に近い芳賀町内にある。
この工業団地は本田技研工業(ホンダ)の子会社である本田技術研究所を中心に、本田技研工業本体および2社の関連企業で構成され、従業員は約 12100 人(2013 年)である*1)。
写真に見えるビルはすべてホンダのものである。これらのビルの裏(東側)には一周4㎞ の自動車テストコースをはじめ9種類のテストコースがある。
宇都宮市が計画していた LRT の当初計画は、宇都宮駅東口から清原工業団地北方のニュータウン(ゆいの杜)の西の入り口までの 10.4㎞ だったが、東隣の芳賀町からの要望を受け入れてここまで延伸されることになった。
この結果、芳賀町内に四つの停留場が設置された。
芳賀町への延伸は順調に進み、全線同時開業となった。しかし宇都宮市の LRT 計画はこれで終わったわけではなく、旧市街がある宇都宮駅西側(駅西 えきにし)への延伸が残っている。
栃木県庁をはじめとした多くの官庁、東武鉄道宇都宮駅、作新学院などの学校がある駅西へ延長されれば、この LRT の利用価値は格段に高まる。その早期の実現が望まれるがどうなることか。
ちなみに、今回の「新交通システム構想」が公表されてから開業するまでに 30 年の長期を要している。
*1)宇都宮市:宇都宮市・芳賀町の概況
2024年3月21日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+36 34 44.06, +140 0 41.90 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 133°
PanoraGeo-No.725
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