![]() 1940 年噴火でできた赤場暁(あかばっきょう)ひょうたん山の火口Crater of Mt. Hyotan in Akabakkyo, formed by the eruption in 1940 |
randum
![]() ![]() ![]() テーマ 14 三宅島1983年噴火1 BACK⏎ ⇒NEXT 直前のページに戻る |
半世紀以上の休止の後、1940 年7月に、三宅島は火山活動を再開した。
雄山火山北東山腹の割れ目噴火に始まり、1カ月近く続く山頂噴火がそれに続いた。
山腹の割れ目火口からの溶岩流が山麓の赤場暁湾に流れ込み、同時に湾内に小さな二つの寄生火山(側火山)ができ、湾は埋まった。
二つ並んだ寄生火山はヒョウタンのように見えたので、ひょうたん山と呼ばれたが、海側のひとつは、海の波で侵食されて無くなり、この写真の一つだけになった。
この火山活動によって、赤場暁湾岸にあった集落が消滅し、11 人の死者がでている。
ひょうたん山は、マグマが飛沫状に噴出し、周りに降り積もる火山礫できた火山砕屑丘(火砕丘)である。
主にスコリアがでできた丘なので、スコリア丘ともいう。
火山砕屑丘は円錐形の小さな山体の割には大きな火口が特徴で、標高 59m のひょうたん山の火口の直径は 100m ほどある。
火口縁の高さが北部(写真左)と南部で大きく異なるため、火口一周は、ザラザラと滑りやすい急傾斜の上り下りで意外と大変。
赤場暁という名のもとになったと思われる岩石の赤い色は、火山砕屑物が高温酸化を受けた結果である。
すなわち、降り積もった後も火山砕屑物の高温な状態が続き、その間に、磁鉄鉱などの鉄分が空気と接して酸化し、赤色のヘマタイトという鉱物がができたためである。
1961年3月15日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):+34 6 5.45, +139 33 41.34 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 95°
PanoraGeo-No.744
拡大