アンデス越えパンアメリカン 0 / 14 | 目次へ | 次の画像へ |
南北アメリカ大陸の西部~西海岸を通って南下してきた パンアメリカンハイウェーは、チリ中部において、引き続き南向きに進み チリを縦貫するものと、東に向かってアルゼンチンに至るものの二つに分かれる。 前者は、南北に長いチリの国土のほぼ全域を南北に貫く国道5号線で、 チリではこの5号線に対して、パンアメリカンハイウェー(パナメリカーナ Panamericana)の愛称を与えている。首都サンティアゴより北(Norte)が パナメリカーナ ノルテ、サンティアゴより南(Sur)がパナメリカーナ スルである。 一方、本来のパンアメリカンハイウェーは、バルパライソの北東のリャイリャイで国道5号線と別れて 東へ向かうチリ国道60号線とそれに続くアルゼンチン国道7号線ということになっている ( 参考図における赤線のOriginal Route)。 ここで紹介するアンデス越えパンアメリカンハイウェーはこちらの方である。 |
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アンデス越えパンアメリカン 1 / 14 | 前の画像へ | 次の画像へ |
チリ国道5号線(パンアメリカンハイウェー)、首都サンティアゴまで202㎞の標識。
ペルー砂漠からチリ北部のアタカマ砂漠へと続く長い長い砂漠地帯を通り抜け、パンアメリカンハイウェーが、
ようやく、緑が目につく地帯に入ってきた。
砂漠気候から地中性気候への漸移帯にあたるステップ気候地帯である。前方の山の斜面のように、
谷筋にやや密な植生が見られる以外は疎らな植生である。
この雲をかぶった山は、コキンボ、バルパライソ両州の境の海岸にそびえるサンタ イネス山
(標高689m)で、頂上付近面には、チリとアルゼンチン南部の多雨地帯に固有のオリボジョOlivolloという木
(Aextoxicon punctatum)のレリック(残存)林が茂る自然公園がある。
過去の地質時代にこの地が湿潤だった頃、ここに成立していた森林が、乾燥した気候に変わった現在でも
生き残っている。これは写真にあるような低い雲や海霧が頻繁にかかるおかげである。
このような雲や霧は、大陸西岸の乾燥地帯に特徴的なもので、ペルーでは
ガルーア、チリではカマンチャカとよばれている。
これより約100㎞先で、アンデス越えのパンアメリカンハイウェー(チリ国道60号線)が国道5号線から分岐する。
2003年9月2日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-32 6 10.07, -71 30 26.03 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 175° PanoraGeo-No.384 |
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チリを南北に縦貫する国道5号線から分かれ東に向かう
パンアメリカンハイウェーがアンデスの山道にかかる手前の盆地にサンフェリーペと
ロスアンデスという二つの都市があり、それらの郊外には写真のような
ブドウ畑がひろがっている。アンデス山脈から来て盆地を流れる川の名から,
アコンカグア谷とよばれるチリにおける
主要ワイン産地の一つである。サンティアゴから近いこともあって、
いくつかのワイナリーをめぐるワインツアーの対象地にもなっている。年平均気温15.7℃で、
年降水量は253mmと少ないが、冬雨型なので、ケッペンの気候区分ではステップ気候になる。
特に夏の乾燥は厳しく、ここのブドウ畑は、すべてアコンカグア川の水で灌漑されている。
なお、南米で最も高い山として有名なアコンカグア山は、この川の流域ではなく、
アンデス分水界のクンブレ峠を東に越えたアルゼンチンのメンドーサ川流域にある。
2003年8月28日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-32 47 2.67, -70 38 42.34 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 253° PanoraGeo-No.385 |
ロスアンデスの気温と降水量 |
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チリの首都サンチアゴ市の北東50㎞、アコンカグア川流域南東部の
標高約4000mの高所には、アンディーナ鉱山(ミネラアンディーナ)という、
チリ銅公社(CODELCO)所有の中規模な銅鉱山がある。
この鉱山で採掘・選鉱された鉱石を、バルパライソ市の北35㎞ほどの海岸にある
ベンタナス精錬所に運ぶ貨物列車が、アコンカグア川の谷を下って行く。この鉄道は、
かつてアルゼンチンのメンドーサとチリのロスアンデスを結んでいたアンデス横断鉄道の
生き残り区間である。アンデス横断鉄道のこれ以外の区間は、線路は残っているが
列車の運行はなく、各所で土砂で埋まるなど痛みが激しく、実質的には廃線の状態にある。
2003年8月28日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-32 51 23.14, -70 28 39.42 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 252° PanoraGeo-No.386 |
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アコンカグア川の上流部はフンカル川と名が変わる。
谷底には平地が少なくなり、パンアメリカンハイウェーは谷斜面にへばりつくように進む。
半乾燥気候(ケッペンのステップ気候、BS気候)のため植生はまばらで、
露岩や浮き石が多い斜面から、いつ落石があってもおかしくない状況にある。
落石注意の交通標識も日本に比べるとかなり過激である。
2003年8月28日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-32 53 57.92, -70 22 3.70 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 104° PanoraGeo-No.387 |
日本の落石標識 おとなしーい |
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アコンカグア川とその上流のフンカル川の深い谷底をたどってきたパンアメリカン
ハイウェーは、国境の峠に至る前に、このヘアピンカーブが続くロス カラコレスの坂を登る。
標高2200mから2800mへの急登で、チリの主要コンテナ港バルパライソを往復する多くのトレーラートラック
にとっては最大の難関である。冬には雪で通行が困難になることもある。正面の山の
麓近くにある白い帯は岩脈で自然の産物であるが、よく見ると、その下の谷底近くを、
崖錐の裾を削って、アンデス横断鉄道の線路が通っている。この鉄道にとってもここは
最大の難所で、大きく遠回りしながら登ってくる(地図参照)。
また、急勾配を克服するため、この区間にはアプト式の線路が敷設されていた。
2003年8月28日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-32 51 31.93, -70 8 33.64 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 226° PanoraGeo-No.388 |
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ロス カラコレスの坂を登りきったところは二つの氷河谷(U字谷)の合流点で、
かなり広々とした谷底が、標高2800mから3000mにかけてひろがっている。春間近の8月末であるが、
まだ雪がたくさん残っている。ここには、南アメリカ最古でもっとも有名といわれるスキーリゾート、
スキーポルティージョSki Portilloがある。この地では、1910年に開通したアンデス横断鉄道の建設に関係
したイギリス人などが仕事上あるいはレジャーでスキーをしたのが始まりで、鉄道開通後は
一般のスキーヤーも訪れるようになった。当時はリフトなどの設備はなく、スキーヤーはロス カラコレスの
坂の下のエルフンカル駅(標高2231m)からチリ国境に近いカラコレス駅(3176m)まで、列車をリフト代わりに
して登り、そこから滑り降りた。ポルティージョ駅(2867m)は両駅の間にある。1949年に国営の本格的な
スキーリゾートが開業、1961年に民営化、1966年には南米最初のアルペンスキーのワールドカップがここで
開催された。スキーは6月半ばから10月初めまで可能である。 参考:Henry Purcell: História de Portillo (http://www.skiportillo.com/quienes-somos/historia-de-portillo/)(スペイン語) 2003年8月28日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-32 50 40.80, -70 7 22.17 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 325° PanoraGeo-No.389 |
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3月下旬、チリでは初秋にあたるポルティージョスキーリゾートである。写真中央に
派手な黄色のポルティージョホテルとその向こうにインカ湖(Laguna del Inca)が見える。
画面左から右へ続く道路はパンアメリカンハイウェー(チリ国道60号線)。この道路が
ロスカラコレスの坂を登りきった上にひろがるこのポルティージョの開けた谷底は、氷河谷(U字谷)の
底を埋めるモレーン(堆石)の集まりである。モレーンはいくつかに細分されるが、大きくみると、
ホテルの左にある丸い丘とホテルの右でインカ湖の水面を一部覆う緩傾斜の丘は、最終氷期の氷河による
側堆石(ラテラルモレーン)であり、ホテルから手前にひろがる巨礫の多い土地は、その後の氷河後退期に、
一時的に前進した氷河がためたモレーン(端堆石 and/or底堆石?)である。
インカ湖はこのモレーンの堰き止めによる氷河湖である。 参考文献:Caviedes, C.N. and Paskoff, R. (1975): Quaternary Glaciations in the Andes of North-Central Chile. Journal of Glaciology, 14,155-170. 2005年3月24日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-32 50 39.95, -70 7 22.35 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 332° PanoraGeo-No.390 |
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チリとアルゼンチンの国境をなすアンデス山脈の分水界をくりぬいて
つくられたクリスト レデントル トンネル(延長3080m、標高3209m)のアルゼンチン側の
入口である。この道路トンネルは、1910年に開通したアンデス横断鉄道のトンネルを往復2車線(片側1車線)
に拡幅し、1980年に開通した。鉄道トンネルができる以前の旧道は、
標高3834mまで登ったところにある峠で国境の稜線を越えていた。この峠には、クンブレ峠、
ウスパジャタ峠、リベルタドレス峠、クリストレデントル峠、イグレシア峠、ベルメホ峠など
さまざまな呼び名がある。この峠に大きなキリスト像が立っており、これが「救世主キリスト」
を意味するトンネルの名となっている。なお、入口手前にある
ISLAS MALVINAS Son Argentinas!という看板は、イギリスの実効支配下にあり、フォークランド
諸島ともよばれる「マルビナス諸島はアルゼンチンのもの」という主張で、国境や州境など、
アルゼンチンの多くの場所に設置されている。
2005年3月24日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-32 48 19.17, -70 4 16.51 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 269° PanoraGeo-No.391 |
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南アメリカの最高峰アコンカグア山を、その表登山口とも言えるオルコネスHorcones川の
谷から望んだもので、二つ見える白峰の右が頂上である。チリとの国境から13㎞ほど東のアルゼンチン領内に
ある。その標高に関しては、2011~12年にかけ、地元メンドーサのクージョ大学を中心とした
チームが綿密な測定を行って6960.8mを得ている。これがアルゼンチンの国立地理院(IGN)によっても
公式に認定され1)、四捨五入した6961mが、同院発行の各種の地図に採用されている。
アコンカグア山の下部や周囲の山は、写真右手の山の斜面に現れているような堆積岩からなっているが、
頂上部は、安山岩質またはデイサイト質溶岩や砕屑岩などの火山物質からなっている。
しかし、これらの岩石は、1370万年~850万年前2)(新生代新第三紀中新世)という古い火山の噴出物で、
その後の長い間の侵食によって当時の火山の面影はなくなり、その構成物のほんの一部が削り残されているに
すぎない。すなわち、この山が現在のように高くなったのは地盤の隆起によるもので、火山物質が
積み重なって高くなったわけではない。このような山を火山と言わないのは、日本でも
瀬戸内海の小豆島や屋島、あるいは新潟の米山のような火山岩でできた山でも火山とは言わない
のと同じことである。(参考:アコンカグア山の地質)
1)IGN(2012):「アコンカグア山の新しい 公式の高さが発表されました: 6960.8 メートル」(スペイン語) 2)Ramos,V.A. et al.(1996): El Volcanismo de la Region del Aconcagua. p.306(スペイン語) 2005年3月24日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-32 49 13.83, -69 56 20.23 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 344° PanoraGeo-No.392 |
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アコンカグア山の南麓にインカの橋とよばれる
変わった地形がある。メンドーサ川の上流のクエバス川に架かった長さ48m、幅28mの自然橋である。
近くに温泉が湧いており、アンデス横断鉄道があった時代には、この温泉リゾートに多くのツーリストが
訪れた。写真で橋の右下に見える建物は温浴施設の遺物、右上隅の建物は、かつてあった
ホテルに付属の礼拝堂である。
インカの橋がこの温泉水から析出したミネラルが砂礫層を固めてできたことは容易に想像がつく。
しかしそのくわしいでき方については、1835年にここを訪れたダーウィンの説をはじめとして
いろいろな説がある。ここでは、この地域の地質研究の第一人者、V.A.Ramos
の説を紹介する:①繰り返し起こる雪崩によって厚い雪で谷底が埋められた状況が長い間つづく。
②谷を流れていた川は雪の下にトンネルを掘って流れ続けるのでスノーブリッジができる。
③雪崩に含まれていた土石が雪解けとともに表面に集まり、また斜面から落ちてきた土石が
加わりスノーブリッジの上に岩屑層ができる。
④この岩屑層にしみこんだ温泉水からミネラル塩が析出して岩屑層が固結する。こうして
スノーブリッジが溶け去った後も壊れない自然の橋ができた。 参考文献::Ramos,V.A.ほか(2008): Puente del Inca. in Sitios Interés Geológico de la República Argentina, Tomo 1-Norte, 203-214. ( スペイン語 65MB ダウンロード) 2005年3月24日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-32 49 33.12, -69 54 38.26 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 210° PanoraGeo-No.393 |
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1984 年に最後の列車が通った後、使われなくなったアンデス横断鉄道のレールである。
チリのロスアンデス市とアルゼンチンのメンドーサ市の間 248㎞ を結ぶこの鉄道は 1910 年に全通、
太平洋と大西洋が鉄道で結ばれることになった。ただし、両国で一般に使用されている線路の幅(軌間)
は 1676mm であるが、アンデス横断鉄道は工事を容易にするために 1000mm で建設された。
したがって、直通列車の運行はできず、ロスアンデス、メンドーサ両ターミナルで乗り換え・
積み替えが必要という不便さがあった。
写真はアルゼンチンのアコンカグア山麓、プエンテ デル インカ(インカの橋)駅構内から西
(チリ方面)を望んだものである。ここから峠のトンネルまでは約20㎞、アンデス越え最後の
胸突き八丁とも言えるところであるが、その割には地形が穏やかに見える。チリ側にある
ロスカラコレスの坂(このテーマの5ページ)のような厳しさはない。麓
から峠までの高度差はチリ側、アルゼンチン側ともに 2400m 前後と大差ないが、これを
チリ側は 70㎞ のうちに登るのに対し、アルゼンチン側は、178㎞ かけて少しずつ登るので穏やかなのである
(参照:鉄道路線高低図)。
この地域のアルゼンチン側のアンデスには、アンデス主山系(プリンシパルコルディレラ)と並走して、
フロンタルコルディレラ(前衛山系)とプレコルディレラ(前山山脈)という副山系があり、
麓から分水界までの山地の幅は、チリ側に比べてはるかに広い。
2005年3月24日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-32 49 32.09, -69 54 37.80 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 300° PanoraGeo-No.394 |
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アルゼンチン側のパンアメリカンハイウェーとアンデス横断鉄道は
メンドーサ川に沿って走る。写真はフロンタルコルディレラ(前衛山系)の中を流れるメンドーサ川中流部
である。古生代末から中生代始め(二畳紀~三畳紀)の火山性物質が
風化した赤っぽい山肌の山々が続いている。斜面に岩石が露出しほとんど植生がない岩石砂漠の山地を、
泥で濁った水のメンドーサ川が流れている。この川は、源流部にあるアコンカグア山(6961m)や
トゥプンガト山(6570m)などの高山の氷雪から水を供給されるので涸れることがない典型的な外来河川である
(メンドーサ川水系図)。
谷底には高低2段の河岸段丘が発達し、高位段丘の段丘崖下部をトラバースするアンデス横断鉄道とその
駅(アルゼンチンのリオブランコ駅)が見える。メンドーサ川を渡る鉄橋もみえる。
2005年3月24日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-32 44 9.28, -69 34 5.20 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 208° PanoraGeo-No.37 |
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ウスパジャタは、アルゼンチンのアンデス山脈の東斜面を並走する二つの
副山系、すなわちフロンタルコルディレラ(前衛山系)とその東のプレコルディレラ(前山山脈)
との間にできた細長いウスパジャタ盆地に立地する小都市(人口約3000)である。
写真の山は、ウスパジャタ盆地の西に連なるフロンタルコルディレラ・ティグレ山地の一峰
モントゥラ山(標高4958m)で、5000mに近い山頂部は雪に覆われ、山腹はほとんど裸地である。
ウスパジャタは、年平均気温10.5℃、夏雨型で年降水量156mmという砂漠気候下にあるが、
ティグレ山地から流れ出るサンアルベルト川やタンビージョ川などがつくる扇状地の扇端部、すなわち、
これらの恒常河川の扇状地の扇頂部で一度伏流した水が再び湧き出してくる位置にあるため、
水に恵まれた緑の豊富なたオアシス都市になっている
(参照:メンドーサ川水系図)。
モントゥラ山を正面に見てアンデスに分け入るパンアメリカンハイウェー、ここを過ぎると
チリのアンデス山麓のロスアンデス市まで、都市らしい都市はない。
2005年3月24日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-32 35 28.50, -69 20 50.41 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 287° PanoraGeo-No.395 |
ウスパジャタの気温と降水量 |
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アルゼンチン西部の中心都市メンドーサの郊外を西に向かうパンアメリカンハイウェー
(アルゼンチン国道7号線)の前方に、プラタ山(またはエルプラタ山、5963m)の白い峰が横たわる。
平野の近くまで張り出しているため、非常に目立つ存在で、しばしばアコンカグア山と間違えられる。
しかし、プラタ山はアンデスの副山系のひとつのフロンタルコルディレラ(前衛山系)に属する山で、アンデス
主山系(プリンシパルコルディレラ)のアコンカグア山はこれよりはるかに奥にあって、メンドーサ市
付近からは見えない。ただ、アコンカグア山を目指す多くの登山家が高度順化のためにプラタ山を利用する
という点で、両者はまったく無関係というわけではない。プラタ山などの白峰の手前に横たわる雪のない山塊は、
もう一つの副山系、プレコルディレラ(前山山脈)である。年平均気温16.2℃、夏雨型で年降水量255mmという
砂漠気候下のメンドーサの平野が、この写真のように緑に富んでいるのは、ひとえにメンドーサ川のおかげである。
ポプラの木立が目立つが、これは、5月から10月にかけてアンデスから吹き下ろすソンダ(Zonda)とよばれる
フェーン性の強風に対する防風林の働きをしている。メンドーサ最大の産物はワイン
メンドーサのブドウ畑で、とくに
メンドーサ川谷口の扇状地にあるこの写真のルハン デ コージョLuján de Cuyo地区は、
メンドーサでもっとも有名なワイン産地のひとつである。写真右遠方にブドウ畑が見え、
左遠方にも防風林に囲まれて広大なブドウ畑がある。 1) 気象庁資料平年値(1981-2010年) 2005年3月23日撮影 カメラの位置 (緯度,経度):-33 6 4.75, -68 53 18.19 (Google Map) 撮影方向:北から時計回り 282° PanoraGeo-No.396 |
メンドーサの気温と降水量1) |
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