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38. 誕生からまもなく半世紀、
アマゾン横断道路は今・・・

ブラジルの国道網とアマゾン横断道路(トランスアマゾニカ道路)2019年

Brazilian Federal Road Network and Trans-Amazonian Highway, 2019

 アマゾン横断道路(ポルトガル語:Rodovia Transamazônica, 英語:Trans-Amazonian Highway, 日本語:アマゾン横断道路 または トランスアマゾニカ道路)は、ブラジルの国土の北寄りで最も幅広い部分を東西に横断する幹線道路である。 ブラジルの道路番号では BR-230 号線という。BR は「国道」を示し、数字の200番台は東西方向の道路に付けられる。 全長 4260 km が建設済みである。 1964 年に成立したブラジル軍事政権は、住民が少なく陸の孤島になっていたアマゾニア(アマゾン地方)には他国から侵略されるなどの地政学的リスクがあると考え、 アマゾニアとブラジル他地域との一体化をはかる国家統合計画(Programa de Integração Nacional-PIN)を策定した。 その中心がアマゾン横断道路の建設とその沿線への農民の入植を目指すアマゾン横断道路入植計画である。 この道路の主要部は 1972年 に完成した。当初計画では隣国のペルーやエクアドルにも及ぶ膨大なものであったが、のちにブラジル国内だけの 4977㎞ に改訂された。 そのなかでも西端部のラブレアとベンジャミンコンスタン間は建設されていない。上の図でこの区間は「計画道路」になっているが、建設の見込みは全くない。 アマゾン横断道路の整備状況は、片側二車線舗装、一車線舗装、同工事中、非舗装(砂利道)など、場所ごとにさまざまである。

原図出典:インフラストラクチャー省(2019更新):Mapa Rodoviário Federal.
(https://antigo.infraestrutura.gov.br/images/2019/Documentos/08-Mapa_Rodoviário_Federal.pdf)3.88MB

アマゾン横断道路詳細図 アマゾン横断道路詳細図
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パライバ州カベデーロ市のアマゾン横断道路起点

パライバ州カベデーロ市のアマゾン横断道路起点

Origin of the Trans-Amazonian Highway in the City of Cabedelo, Paraíba

 アマゾン横断道路の起点は南アメリカ大陸の東端に近いパライバ州カベデーロ市である。 写真は同市内にあるこの道路の起点を示す距離標で、PB はパライバ州、BR-230 は道路番号、km の下の数字はこの道路の起点からの距離(キロメートル)を示している。 km 数は州が変わるごとに0から始まるので、アマゾン横断道路の Km0 はほかにもあるが、このパライバ州の km0 が本当の起点である。 道路番号は最後まで変わらないBR-230である。建設されなかったもっとも西の部分、ラブレア・ベンジャミンコンスタン間の計画路線もBR-230 になっているので、このコースがもともとのアマゾン横断道路の予定コースであったことがわかる。 カベデーロは、南アメリカ大陸東端ブランコ岬があるジョアンペソア市の北に隣接する都市で、州都ジョアンペソアの外港である。 この道路は、パライバ州をはじめとして、セアラ州、ピアウイ州、マラニョン州などのブラジル北東部地方(ノルデステ)を通過して、ブラジル北部地方(アマゾニア=アマゾン地方)に入り、トカンチンス州、パラ州、アマゾナス州へと続いている。

2004年9月15日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-6 58 16.29, -34 50 17.48 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 55°

PanoraGeo-No.545

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土地なし農民運動(MST)のデモ

土地なし農民運動(MST)のデモ

Demonstration of the Landless Rural Workers' Movement (MST)

 パライバ州の州都ジョアンペソア市の南出口、アマゾン横断道路(国道230号線)との交差点に近い国道101号線(BR-101)を遮断して、土地なし農民運動(MST:Movimento dos Trabalhadores Rurais Sem Terra )のデモが行われていた。 大土地所有制が顕著なブラジルでは、大地主の下で働く小作人や農業労働者などの土地なし農民の不満は大きい。 土地と農地改革と社会変革を求める戦いを目的として MST が組織化されたのは 1984 年であるが、それ以前の 20 世紀半ばごろから、土地なし農民の社会運動は活発化していた。 遅れた経済と人口過密の北東部地方(ノルデステ)の貧しい農民の不満はとくに大きかった。 1964 年に政権を取った軍事政権は、アマゾン地方(アマゾニア)の地政学的リスクを軽減させるために、アマゾニアに人を送り込み開発を進める政策を実行したが、そのひとつの施策がアマゾン横断道路入植計画である。 アマゾン横断道路を建設しその沿線にノルデステの農民を自作農として入植させるというプロジェクトである。アマゾニアの開発とノルデステの農民の不満の解消という一石二鳥の政策である。 「土地のない人のために人のいない土地を」“Uma terra sem homens para os homens sem terra”が、このプロジェクトを推進したメジチ大統領のスローガンであった。 入植農民の輸送のために、アマゾン横断道路はノルデステまで伸びているわけである。

2003年8月18日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-7 11 56.66, -34 54 23.65 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 16°

PanoraGeo-No.550

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片側二車線に整備されたアマゾン横断道路

片側二車線に整備されたアマゾン横断道路

Trans-Amazonian Highway in two lanes on one side

 カベデーロの起点から 40㎞ ほど、州都ジョアンペソアの西隣に位置するサンタリタ市の国道 230 号線(アマゾン横断道路)は、今世紀初めにはすでに、写真のように中央分離帯付きの片側二車線道路に整備されていた。 アマゾン横断道路の英訳 Trans-Amazonian Highway のハイウェーを誤訳して「高速道路」と呼んでいる向きもあるが、アマゾン横断道路は幹線道路であっても決して高速道路ではない。 この写真のように整備されて最高速度 100km/h の部分だけを見ると高速道路という感じがしないでもないが、よく見れば、自転車が走っているし、人が横断するけもの道のような踏み跡が見える。 日本の高速道路のように自動車専用、歩行者の立ち入り禁止など厳しく管理されたものではなく、高規格の一般道にすぎない。 このように整備が進んでいるのは、2019 年現在、起点から 150㎞ のカンピナグランデ市までの区間だけである。

2003年8月15日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-7 8 4.94, -34 57 51.21 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 241°

PanoraGeo-No.546

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ブラジル北東部内陸の半乾燥地帯(セルトン)を貫くアマゾン横断道路

ブラジル北東部内陸の半乾燥地帯(セルトン)を貫くアマゾン横断道路

Trans-Amazonian Highway through the semi-arid region in northeastern Brazil

 アマゾン横断道路の起点があるパライバ州は、大西洋岸から数十 km は雨の多い気候でゾナダマタ(Zona da Mata)とよばれる森林帯であるが、 それより内陸は、「奥地」を意味するセルトン(Sertão)とよばれる地域で、長く厳しい乾季がある熱帯半乾燥気候のもとにカーチンガという有刺灌木林がひろがっている。セルトンはしばしば深刻な干ばつに見舞われる厳しい風土である。 この写真はパライバ州中部のサンタルジア市を貫くアマゾン横断道路で、行く手の左には乾季で緑を失ったカーチンガの原野とそこから突き出たインゼルベルク(島状丘)があり、右手には乾燥地域の丘の麓に特有のペディメントとおぼしき緩斜面がみられる。 アマゾン横断道路は、パライバ州とその西のセアラ州およびピアウイ州にかけての約 1000km、カーチンガの原野を走り抜ける。

1991年8月2日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-6 52 3.33, -36 55 16.68 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 226°

PanoraGeo-No.86

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セルトンの伝統的作物、綿花の収穫

セルトンの伝統的作物、綿花の収穫

Harvest of cotton, a traditional crop of Sertão

 アマゾン横断道路が通るパライバ州では、植民地時代以降、大西洋岸に近い森林帯(ゾナダマタ)が製糖地域として発展する一方、内陸部のセルトンには製糖地域へ牛肉を供給するための牧場が開かれ、厳しい乾燥気候の割には多くの人たちが住みついた。 このようなパターンは現在でも変わらず、新しい産業が育たないため、この州をはじめとした北東部地方(ノルデステ)は経済の遅れた貧困地域になってしまった。 セルトンにも、乾燥した気候に強い綿花の栽培と繊維産業が発展し、綿花が「白い黄金」と呼ばれてもてはやされた時期はあった。しかし、それも1980 年代の国際価格低落と病虫害で壊滅的な打撃を受けて衰退してしまった。 この写真はセルトンにおける綿花産業が斜陽に向かう 1980 年代はじめの綿花農園の労働者である。 ノルデステでは、ゾナダマタの製糖地域でもセルトンの牧場やこのような農園でも、土地の所有者は一握りの資本家で、そこで働く多数の農民は小作人か農業労働者、すなわち「土地なし農民」である。 アマゾン横断道路入植計画には、このような土地なし農民に鬱積する不満のガス抜きをし、大土地所有制を守るという意図もあった。

1981年8月14日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-6 46 52.38, -38 9 12.45 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 186°

PanoraGeo-No.85

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トカンチンス川エストレイト橋

トカンチンス川エストレイト橋

Estreito Bridge over the Tocantins River

 アマゾニア(アマゾン地方)の二大幹線道路であるベレン・ブラジリア道路(南北方向)とアマゾン横断道路(東西方向)とが交差する地点で、両道路は共にこの橋でトカンチンス川を渡っている。 アマゾン横断道路にとっては、東部のノルデステ区間と西部のアマゾニア区間の境目に当たる。橋はトカンチンス川の水面幅が 600m ほどから 130m へと急減(水深は急増)した地点に建設された。 エストレイトとは「狭い」を意味するが、これは、橋が狭いのではなく、川が狭まるところに立地した集落の名である。橋の全長は 510m あるが、その中央部の水面を跨ぐ 140m の橋桁は、コンクリート橋としては世界最長級のものという。 ブラジル高原中央部のサバナ気候地域から流れ来るトカンチンス川の水位は季節により大きく変動する。この写真に見られる橋脚下部の黒い汚れは、雨季になると水位がそこまで上がることを示している。 ベレン・ブラジリア道路は、新首都ブラジリアとアマゾン川河口近くのベレンを結ぶ 2260㎞ の幹線道路で、この橋の完成やブラジリアの遷都と同じ 1960 年に開通、1970 年には全線がアスファルト舗装された。 この道路によって、アマゾン地方とブラジルの中心部とが初めて道路で結ばれた。

1981年8月6日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-6 33 31.37, -47 27 27.01 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 232°

PanoraGeo-No.87

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開通後間もなくのアマゾン横断道路

開通後間もなくのアマゾン横断道路

Trans-Amazonian Highway shortly after opening

 アマゾン横断道路入植計画は、ブラジル軍事政権(1964-1985年)が起こした巨大プロジェクトである。 アマゾン横断道路のうちトカンチンス、パラ、アマゾナスの3州にまたがるアマゾニア区間は、1970年10月9日に工事が開始され、1972年9月27日にエストレイトとイタイツーバの区間が、1974 年1月 30 日にはイタイツーバとウマイタの区間が開通した。 約 2900㎞ の道路をわずか3年と少しで完成させるという驚異的な工事の速さである。 写真は、アマゾン横断道路アマゾニア区間の起点であるトカンチンス川エストレイト橋に近い部分の 1981 年の状況である。開通当初は、アマゾニア区間全体がこのような砂利道であった。 アマゾン横断道路は、ここから約 150km 先までトカンチンス州内を行くが、この区間は、サバナ(カンポセラード)からアマゾニア森林への漸移地帯で、疎林の間のところどころに、写真左遠方のような密林も現れる。

1981年8月6日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-6 33 29.63, -47 28 31.93 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 335°

PanoraGeo-No.547

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マラバ市近郊の劣化した熱帯雨林

マラバ市近郊の劣化した熱帯雨林

Degraded rainforest near Marabá City

 エストレイト橋でトカンチンス川を西に渡り、アマゾン横断道路のノルデステ区間からアマゾニア区間に入ってから約 260㎞ でパラ州マラバ市に着く。 マラバはこの道路沿線で最大の都市である。カラジャス鉱山やツクルイ発電所に近く、製鉄業や木材加工をはじめとした工業と商業が盛んな活気にあふれた都市である。 ブラジルの自然植生図(右図)でみれば、この辺はもう完全に熱帯雨林地帯のはずであるが、現在の植生はこの写真のような状態である。 牧場の中にかろうじて残されたブラジルナッツ(パラグリ、Castanha do Pará)の高木が、かつての森林の面影を残すにすぎない(このパラグリの木も 2018 年のグーグルアースでは消失している)。 マラバ地方はかつてブラジル第一のブラジルナッツ産地であったが、今ではアクレ州などの内陸諸州にその地位を譲っている。 多数ある低木はババスヤシと呼ばれるアブラヤシの一種で、熱帯林の周辺部に広く自生する二次植物である。 撮影の 2007 年には、アマゾン横断道路のアスファルト化は、東から来てこの付近(マラバ市北西 25㎞)で終っていたが、2020 年には、マラバ市から 600㎞ ほど西のメジチランジア市付近に達している。

*1) 原図:IBGE(ブラジル地理統計院)2004:Mapa de Vegetação do Brasilの付図

Natural vegetation of Brazil
ブラジルの自然植生分布図*1)
拡大した原図を見る

2007年9月1日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-5 18 6.90, -49 16 11.43 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 137°

PanoraGeo-No.88

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「牛の道」になったアマゾン横断道路

「牛の道」になったアマゾン横断道路

Trans-Amazonian Highway that became the "Cow Road"

 マラバ市から 100㎞ ほど北西に行ったところで、牛の大群に行く手を阻まれた。 マラバ市近くの牧場から百数十 km 離れた別の牧場へ、アマゾン横断道路を使って移動中の 1500 頭の牛たちである。6人の牧童が何日もかけて行う大仕事である。 行進は休憩中で、道端の斜面などに入り込んで草を食んでいる牛もいる。大きなバスも牛の群れをかき分けながら、そろそろと進まなくてはならない。 ブラジルの歴史には「牛の道」(カミーニョス・ド・ガード、Caminhos do Gado)という言葉があるが、まさにこれを思い出させる光景である。 ただし、「牛の道」の本来の意味は、植民地時代に、砂糖産業で繁栄したバイア州、ペルナンブコ州、サンパウロ州などの海岸地帯の都市(それぞれ、サルヴァドール、オリンダ/レシーフェ、サンヴィセンテ)周辺を出発点にして、 僻地に向かって、牛の牧場が次々につくられていった道筋のことである。牧場の拡大は、全方面的ではなく、川沿いなど牧場に適したところを選んで伸びる線的な形であったため、「道」という表現が使われる。 この意味では、牧場がアマゾン地方へ進入する道筋となったアマゾン横断道路は、まさに、「現代の牛の道」と言えるかもしれない。

2007年9月1日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-4 49 40.44, -49 33 8.67 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 357°

PanoraGeo-No.89

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アマゾン横断道路が通るノヴォレパルチメントの商店街

アマゾン横断道路が通るノヴォレパルチメントの商店街

Shopping street in Novo Repartimento through the Trans-Amazonian Highway

 ノヴォレパルチメントは、 トカンチンス川の急流部を利用したツクルイ発電所(1975年着工、1984年完成)のダム建設に伴い、浸水域の住民のために、電力会社エレートロノルテがつくった新興都市である。 アマゾン横断道路とツクルイ、カメター方面への州道(現在国道422号線)の分岐点に、1980 年に建設された。 この写真撮影の 2007 年当時は、この都市に集まる道路3本すべてがアスファルト舗装されていなかったので、市街地の道路も泥まみれで、埃っぽい街であった。 2019年時点で、アマゾン横断道路の西行きは舗装されたが、他の二本は工事中か元のままなので、市街地は相変われず泥まみれの状態である(ストリートビュー2019年)。 この都市は、このような交通の要衝であるとともに、市街地周辺の農村部には、植民・農地改革院(INCRA)主導の広大な入植地が展開しており、その住民の生活必需品調達の場である。 この写真のアマゾン横断道路の側道沿いは、ホテルや衣料品店をはじめ、電気製品、履物、ベビー用品などの商店が雑然と並ぶ商店街である。

2007年9月1日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-4 15 3.66, -49 56 45.91 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 314°

PanoraGeo-No.548

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アマゾン横断道路沿線の炭焼き窯

アマゾン横断道路沿線の炭焼き窯

Charcoal kilns along the Trans-Amazonian Highway

 ツクルイ発電所方面への分岐点ノヴォレパルチメントを出て北西へ 30km あまりでマラカジャという小さな町を通る。 町なかの道沿いには、何か所も、大きなビニール袋に詰めた木炭が山積みされドライバーの買い手を待っている。 奥地の森林で焼いて持って来たのだろうと思っていると、あに図らんや、町はずれのアマゾン横断道路沿いに大きな炭焼き場があった。 木炭の原料は製材所で発生した廃材である。製材所は電気が使える街道筋にしかないから、炭焼き場も街道沿いということになる。 おがくずや木片などの廃材は、製材所に設置された大きな窯で燃やしてしまうこともあるが、一部では、このように木炭の材料にしたりチップを圧縮してパーティクルボードをつくるなど、有効利用もなされている。

2007年9月1日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-4 8 2.45, -50 14 15.72 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 260°

PanoraGeo-No.90

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アマゾン横断道路沿線の製材所

アマゾン横断道路沿線の製材所

Sawmill along the Trans-Amazonian Highway

 アマゾン横断道路沿線で稼働する製材所のヤードには、近くの原生林から運ばれてきた丸太が山積みされている。 なかには、直径2m に達する巨木もある。現地の経済的利益を守るため、木材を丸太のまま出荷することは禁止されており、現地で製材したうえで出荷する決まりである。 写真の電線はトカンチンス川のツクルイ発電所からのもので、この電力が届くようになった結果、アマゾン横断道路沿線でも製材所の立地が可能になった。 アマゾン地方の木材は、畑や牧場をひらくための森林伐採の副産物としての性格が強いので、農牧業開発が一段落した地域では製材所も消滅することが多い。 この製材所もこの写真を撮影した数年後には姿を消している。

2007年9月1日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-3 54 29.72, -50 21 28.11 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 334°

PanoraGeo-No.91

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起伏の激しい区間を行くアマゾン横断道路

起伏の激しい区間を行くアマゾン横断道路

Trans-Amazonian Hihgway crossing a rugged section

 アマゾン横断道路はまっ平らなアマゾン平野を行く単調なハイウエーと思ったらそれは間違いである。 アマゾン川沿いの平坦な低地(氾濫原=ヴァルゼア)や低い台地(テラフィルメ)を通っているわけではない。 近くても160㎞、遠い所では400㎞ 以上もアマゾン川から離れたアマゾン平野の南の縁を走るルートの大部分は、古生代の地層や先カンブリア時代の結晶質岩石からなる波打った侵食平野であり、一部には起伏がかなり激しいところがある。 写真は、パラ川の支流パカジャー川の上流部を横断する区間の夕景である。 雨の少ない季節なので、急坂をあえぎながら登るトランクが巻き上げる砂塵がものすごい。ここは、標高 80m 前後の谷底から 200m を超す尾根の頂まで、100m を超すアップダウンが繰り返される難所である。 この付近のアマゾン横断道路はすでにアスファルト化が済んでいるが、この難所約 10㎞ の区間だけは、大規模な改修が必要なため、2019年現在でも工事が終わっていない。

2007年9月1日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-3 50 47.71, -50 31 2.58 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 267°

PanoraGeo-No.92

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開発最前線への道、ヴィシナール

開発最前線への道、ヴィシナール

Road to the front line of development, vicinal road

 アマゾニア(アマゾン地方)における農地や牧場の開発に伴う森林消失の最前線は、いくつかの幹線道路と直交または斜交するようにつくられた何本ものヴィシナール道路Estrada Vicinal、略してヴィシナール)とよばれる横道に沿った部分である。 写真はアマゾン横断道路沿いのヴィシナールのひとつで、砂利も敷かれていない泥道である。アマゾニアの幹線道路沿いのヴィシナールの多くは5km 間隔でつくられている。 短いヴィシナールでも 10㎞ くらい、長いものになると 40~50㎞ も伸びている。 空から見ると、幹線道路を背骨にして多数のヴィシナールが横骨のように並んで魚の骨のように見える。これがフィッシュボーン(Fishbone)とよばれるパターンである (参照:アマゾン横断道路の衛星写真)。 ヴィシナールの建設や補修は、連邦の機関である農業開発省植民・農地改革院(INCRA)と市町村(この場合はアナプー市)の共同事業として実施される。写真にある看板はその旨のお知らせである。

2007年9月2日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-3 13 48.99, -51 30 3.75 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 246°

PanoraGeo-No.93

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アマゾン横断道路シングー川フェリー

アマゾン横断道路シングー川フェリー

Xingu River Ferry of the Trans-Amazonian Highway

 アマゾン横断道路にはシングー川、タパジョス川、マデイラ川などの大河川に架かる橋はなく、フェリーボートを利用して渡ることになる。 フェリーボートと言っても、写真のように、エンジンなしの大きな艀(はしけ、バージ)の横に結びつけた船で押す形の簡単なものが多い。 このシングー川のフェリーは、小型乗用車1台10~12レアル(600~700円、2007年当時)、歩行者は無料である。フェリー上のバスは、アルタミラ発マラバ行きの定期バスである。 シングー川は、このフェリーがあるベロモンテ集落のすぐ上流から滝や早瀬が多い急流区間になるので、ベロモンテが下流からの遡行限界である。 アマゾン横断道路のルートはトカンチンス川、シングー川、タパジョス川などの大きな川の下流あるいは上流からの航行限界にある都市を結んでひかれている。水上交通と陸上交通を結びつけるための計らいである。 ここより上流のシングー川の急流区間を利用して、大出力のベロモンテ発電所が 2019年に完成した。

2007年9月2日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):3 7 19.21, -51 41 58.56 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 182°

PanoraGeo-No.94

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熱帯雨林を伐採して造成して間もない牧場

熱帯雨林を伐採して造成して間もない牧場

A ranch that has just been cut down and built in a tropical rainforest

 アマゾン横断道路の沿線の熱帯雨林を焼いて比較的新しく造成された牧場で、まだ焼け残った木の株がたくさん散在している。 孤立した大木は伐採が禁じられているブラジルナッツ(パラグリ)の木である。 このように当初残されたブラジルナッツの木も、しばらくするといつの間にか無くなってしまうのはどういうわけだろう(13年後、2020年の状況はこちら)。 密林にあった木は一人では生きていけないのか、あるいは、ほとぼりが冷めたころに切られて材木になってしまったのか...。 パラ州内のアマゾン横断道路沿線の牧場化は近年加速的に進んでいる。 沿道の 14 市における牛の飼育頭数は、とくに21世紀に入ってからの増加が著しく、1995 年から 2015 年まで 20 年間に5倍になっている(資料:牛飼育頭数の推移)。 ちなみに、この期間、アマゾニア全体(北部地方7州)では 2.5 倍、ブラジル全体では 1.3 倍になったにすぎない。

2007年9月2日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-3 5 48.52, -51 52 4.22 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 357°

PanoraGeo-No.95

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シングー川河畔のアルタミラ市街

シングー川河畔のアルタミラ市街

Altamira City on the Xingu River

 アマゾン横断道路とシングー川は、ベロモンテの渡し場で交差した後、上流のこのアルタミラの市街地で再会する。 この間の大きく迂回したシングー川の流路は、滝や早瀬が連続する急流区間である。その落差を利用して、世界的な高出力のベロモンテ発電所が建設された。 1970年10月9日、大統領が出席してアマゾン横断道路の建設開始の式典が行われたこの都市は、この道路の原点と言われている。 市内には、「アマゾン大森林の真っただ中、シングー川のこの岸辺で、わが共和国の大統領がアマゾン横断道路の建設に着手した。 これは巨大な緑の世界の征服と入植に向けての歴史的な発進である*1)」と記した記念碑がある。 アルタミラは面積約 16 万平方km(関東地方の約5倍)というブラジル最大のムニシピオ(日本の市町村にあたる地方自治体)である。

*1) 原文:“Nestas margens do Xingu, em plena selva amazônica, o sr. Presidente da República dá início à construção da Transamazônica, numa arrancada histórica para a conquista e colonização deste gigantesco mundo verde”

2007年9月2日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-3 11 14.24, -52 11 23.46 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 220°

PanoraGeo-No.549

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大規模な改修工事中のアマゾン横断道路

大規模な改修工事中のアマゾン横断道路

Trans-Amazonian Highway during large-scale renovation work

 パラ州内のアマゾン横断道路の改修はかなり進んでいる。2007 年には、アルタミラからその西方のブラジルノヴォまでの区間で、この写真のように、道幅を広げ勾配を緩くする大規模な改修が進行中であった。 2020 年時点では、さらに西方のメジチランジアまでアスファルト舗装が完成し、この写真の部分も改修が終わったはずであるが、どういうわけか、2020 年撮影の Google Earth の衛星画像(右の画像)によると、未だに泥まみれである。 岩盤が深くまで風化されて柔らかくなっている湿潤熱帯では、簡単に土地を削って建設することができる反面、土層が崩れやすいので、メンテナンスは容易でない。 アマゾン地方の道路でメンテナンスが間に合わず通行不能になった最悪の例は、マナウス・ポルトヴェーリョ道路(国道 319 号線、全長 885㎞)である。 全線アスファルト舗装で1976年に開通したこの道路は、その後多くの場所が破損し、1988年以降の一時期閉鎖されてしまった。 この道路は現在でも雨の多い季節(11月~4月)には通行不能になることが多い。アマゾン横断道路がそうならないよう祈りたい。


2020年のGoogle Earth
地面レベルビュー

2007年9月2日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-3 15 3.65, -52 20 55.58 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 218°

PanoraGeo-No.96

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改修前のアマゾン横断道路(トランスアマゾニカ道路)

改修前のアマゾン横断道路(トランスアマゾニカ道路)

Trans-Amazonian Highway(Rodovia Transamazônica) before renovation

 アルタミラから約 100㎞ 西方のメジチランジアを過ぎて間もなくのアマゾン横断道路で、この付近の道路南側(写真左)は先住民アラーラ(Arara)族の保留地なので、やや茂みが深くなってきた感じだ。 雨の少ない9月ではあるが、軽い通り雨が降って路面が濡れている。この時期なので「埃が立たず快適なドライブができる・・・」と喜んでいられるが、雨季の本格的な雨にあうと、このような泥道は悲惨な状況になる。 軟弱になった路面が大型のトラックなどで捏ねられて泥沼化し、スリップして登坂が不能になる。 改修が進む以前のアマゾン横断道路は雨が降ると各所で通行不能になり、幹線道路の用をなさなかったため、「長大な田舎道」という言葉がびったりであった。 当面のアスファルト化はメジチランジアまでのようで、これ以西は若干の改修はあるもののこの写真とあまり変わらない状況が続いている。

2007年9月2日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-3 34 1.07, -53 12 8.03 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 263°

PanoraGeo-No.97

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アマゾン横断道路沿いの小都市ウルアラの商店街

アマゾン横断道路沿いの小都市ウルアラの商店街

Shopping street in Uruara, a small city on the Trans-Amazonian Highway

 アマゾン横断道路沿いにできた小都市ウルアラの商店街には農機具や車両関係の店が多く、早朝から賑わっている。 かつてのアマゾン地方(アマゾニア)の都市は、水運が利用できる川沿いに成立したが、道路の建設にともなって、川から離れた内陸にも、このような都市ができるようになった。 ウルアラは、日本の市町村にあたるムニシピオ(以下「市」とよぶ)の人口が 4.5 万(2010年)で、そのうち半分 2.3 万がこの中心市街地に住んでいる。 アマゾン横断道路沿いには、このほかにも、ノヴォレパルチメント(市の人口 6.2万)、パカジャー(4.0万)、アナプー(2.1万)、ブラジルノヴォ(1.6万)、メジチランジア(2.7万)、プラカス(2.4万)、ルーロポリス(4.0万)などの市が誕生し、その中心となる小都市ができた。 いずれも農牧業が中心の市なので、中心都市に住むのは市の人口の 50% 以下、多くは 30% 程度で、マラバ(人口 23.4万、中心都市人口率 79%)、イタイツーバ(9.7万、73%)のように商業機能が発達した港町とは性格が異なっている。

2007年9月3日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-3 42 57.88, -53 44 24.78 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 254°

PanoraGeo-No.98

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カカオ果樹園と乾燥舎

カカオ果樹園と乾燥舎

Cacao orcher and cacao drying shelter

 アマゾン横断道路沿線の農家の庭先につくられた小規模なカカオ園である。丈のそろった低木がカカオの木で、右手の屋根の大きな建物はカカオ豆を干す乾燥舎である。 ラグビーボールのようなカカオの実を割って白い果肉(パルプ)に包まれたカカオ豆を取り出し、絞って果肉を取り除き、発酵させたものを、この乾燥舎で乾かす。 大屋根の下には可動性の巨大なトレーがあり、カカオ豆をその上に広げ、日中はトレーを屋根から引き出して天日乾燥させる(参照)。夜間や雨の時には大屋根の下に滑り込ませる。 カカオはパラ州のアマゾン横断道路沿線(マラバ・イタイツーバ間)で最も盛んに栽培されている作物である。 このほかに、キャッサバ(マニオク)、バナナ、フェジョン豆(いんげん)などがおもな作物で、かつてほど多くはないが、コメやフェジョン豆も栽培されている(参考:主要作物の作付面積)。 これらの作物をつくる畑は近年ではほとんど増えていないのに対し、大規模な牧場は急増中である。農業を営む小規模自作農の育成というアマゾン横断道路入植計画は、今では完全に破綻してしまった。

2007年9月3日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-3 45 39.79, -53 51 5.97 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 316°

PanoraGeo-No.99

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アマゾン横断道路沿いの自作農家

アマゾン横断道路沿いの自作農家

An owner farmer along the Trans-Amazonian Highway

 この自作農家の若主人は父親から任されて、200 ヘクタールの農地で黒コショウ、コメ、トウモロコシを栽培している。 アマ人ゾン横断道路入植計画のおもな目的は、土地を持たないノルデステ(北東部地方)の農民を導入して、アマゾニア(アマゾン地方)にこのような自作農を育成することであった。 しかし、予想以上に土壌がやせていたことや、半乾燥気候というアマゾニアとは異なった環境のノルデステから来た入植者に対する技術指導と肥料・種子などの営農資材の供給が不十分だったことなどのために、多くの入植者が農業を続けることができずに引き揚げてしまった。 大土地所有制が行きわたっているブラジルにはノルデステ以外の地域にも土地を求める農民は多く、ノルデステの人たちに代わってほかの地方から農業を営む人たちがやって来た。 この農家の父親もそのような南部地方の出身者だという。

2007年9月3日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-3 52 58.05, -54 22 26.02 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 228°

PanoraGeo-No.101

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ルーロポリス市郊外のアマゾン横断道路

ルーロポリス市郊外のアマゾン横断道路

Trans-Amazonian Highway on the outskirts of The City of Rurópolis

 「アマゾンには森がない」*1)という本は、同じアマゾンでも西の方のロンドニア州が舞台であるが、パラ州のアマゾン横断道路をドライブしていてもそれを実感する。 どこもかしこも、この写真のように、森林に乏しい開けた景観の連続である。牧場のひろがる緩やかに起伏する土地を赤い砂利道が貫き、小川を渡るところには車一台がようやく通れるほどの狭い木の橋が架かっている。 その向こうの左側には、幹線道路に直交するヴィシナール道路(略してヴィシナール)の入口がみえる。森林の伐採と畑や牧場の造成はおもにこのようなヴィシナール沿いで行われる。 当初のアマゾン横断道路入植計画では、アマゾン横断道路の両側 10㎞ の土地を移住者に配分して開発させることになっていた。したがって、ヴィシナールの長さは 10㎞ までのはずであるが、 この写真のヴィシナールの長さは今では 25km くらいあり、ほかのヴィシナールには 40~50km あるいはそれ以上のものもある。現実には当初の計画をはるかに超えた森林破壊が進行しているわけである。 ノルデステ(北東部地方)の農民の入植がうまく行かずアマゾン横断道路入植計画の失敗が明らかになると、この道路の沿線では3000ヘクタールまでの土地所有が認められるようになった。 その結果、資産家や大企業による牧畜主体の開発が可能になり、森林破壊が広域化していった。

*1)原後雄太(1977):「アマゾンには森がない」、253pp. 実業之日本社

2007年9月3日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-4 5 3.97, -54 50 15.10 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 255°

PanoraGeo-No.102

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ルーロポリス市のロータリー

ルーロポリス市のロータリー

Rotary in the City of Rurópolis

 ルーロポリスは、アマゾン河畔のサンタレンから南下してくるクイアバ・サンタレン道路(国道163号線)とアマゾン横断道路が会合するところに位置する都市である。 ここより西への 113㎞ は、二つの路線が同じ道路を使う重用区間である。ルーロポリスという名は、アマゾン横断道路入植計画に由来している: この計画では、アマゾン横断道路沿いに小学校、教会、診療所などの施設のある48~64戸の農家からなる小規模集落(アグロヴィラ)を多数つくり、 その上に、いくつかのアグロヴィラの人々が利用する中学校、銀行、郵便などの施設のある中規模集落(アグロポリス)、 さらに全てのアグロポリスの住民が利用する高度な施設をもった大規模集落(ルーロポリス)という三つのレベルからなる集落システムが考えられた。 この最大レベルの集落としてこの地に当時の大統領の名にちなんだプレジデンテメジチというルーロポリスが建設された。 市の名は後にルーロポリスと変えられたが、都市の建設は初期段階だけで終わってしまい、その規模も施設も、アマゾン横断道路沿いにできたほかの新興都市と変わらない。 2010 年時点の市の人口は 4.0 万、中心都市人口は 1.3 万である。都市の中心のロータリーに面して並ぶのは、写真中央の建設資材店や左の赤い看板の牧畜資材店などである。

2007年9月3日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-4 5 36.83, -54 54 42.20 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 136°

PanoraGeo-No.201

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タパジョス川に臨むイタイツーバ市街

タパジョス川に臨むイタイツーバ市街

Itaituba City on the Tapajós River

 アマゾン横断道路を東から来て、タパジョス川をフェリーで渡ったところにイタイツーバの市街がある。 タパジョス川はアマゾン川の大きな支流のひとつで、泥で濁っていない「澄んだ川」である。 この川のここから 50km ほど上流には、船の航行が困難なサンルイス ド タパジョス早瀬があるので、イタイツーバはタパジョス川の遡行限界近くに立地する港町である。 現在のおもな産業はアマゾン横断道路沿線の牧畜と木材生産であるが、1980年代には、タパジョス川の本支流に分布する無数の砂金採取場(ガリンポ)でとれた金の取引地となり、「金塊の都市」(Cedade Pepita)」という異名でよばれていた。
 アマゾン横断道路はさらに西方に続くが、計画的な入植計画が実施されたのはイタイツーバまでである。 これ以西の区間には、アマゾン横断道路に直交するヴィシナール道路もなく、アマゾン横断道路の改修予定もないようである。 ただし、牧場化・森林破壊の波はこの区間にも及んでおり、雨の少ない季節には、沿道のいたるところで森林を焼く煙が立ち昇っている(参照:アマゾンにおける森林火災の衛星写真)

2007年9月6日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-4 16 54.62, -55 58 28.12 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 333°

PanoraGeo-No.202

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熱帯雨林を貫くアマゾン横断道路

熱帯雨林を貫くアマゾン横断道路

Trans-Amazonian Highway through the tropical rainforest

 アマゾン横断道路をイタイツーバ市から西へ向かい、その近郊の牧場地帯を通り抜けると、突然、森林が道端まで迫った密林地帯に入る。 ここまで来てやっと、「アマゾンにも森がある」という感じになれる。ここはパラ州からアマゾナス州にかけてひろがるアマゾニア国立公園である。 ブラジルの国立公園は、農地や牧場の開発はおろか、人の居住も許されない最高ランクの自然保護地域である。国立公園内のアマゾン横断道路は砂利道ながらよく整備されていている。 問題はこの国立公園を過ぎてからである。ブラジルで最も詳細な道路地図*1)のこの区間には、「アマゾン横断道路を通行する前に、以下に電話して、道路の状況を確かめること。電話(92)3618-4174」という注記がある。 要するに、雨の多い季節にはしばしば通行不能になるから気をつけろということである。

*1) Guia Mapograf Brasil (旧 Guia Quatro Rodas) 2016/2017 の付図

2007年9月6日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-4 32 25.77, -56 18 20.24 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 176°

PanoraGeo-No.204

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