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43. 個性豊かな筑波山-その2:裾野も楽しい筑波山

筑波山のトレイル(登山道)網 width=

この上なく多様な筑波山のトレイル(登山道)網

An unparalleled network of Mt. Tsukuba trails

 ヤマレコの「みんなの足跡」の筑波山の部分をお借りした。 オレンジ色の点は登山者の「足跡」で、人がたくさん歩く道は点がつながって線になり、多くの人が歩いたところは太い線になっている。
 これを見ると、筑波山のトレイル網は極めてユニークである。メインルートは南麓の筑波山神社から御幸ヶ原への直登である。 しかし、東の中腹、つつじヶ丘からから女体山への道や、西麓のつくし湖や薬王院から男体山を目指す登山者も多い。 これ以外のルートも多くの人に使われており、まさに「四方八方から頂上へ」という表現もオーバーではない。 健脚の人なら富士山のお中道(おちゅうどう)よろしく、筑波山中腹一周 15㎞ の「筑波山お中道」(仮称)踏破も可能である。 このようなトレイルの多様性は、この山の孤立峰に近い山容の賜物である。
 筑波山地域ジオパークは、筑波山や霞ケ浦の北西部などを含む一帯で、茨城県中南部の石岡市・笠間市・つくば市・桜川市・土浦市・かすみがうら市の6市にまたがっている。 ジオパーク内のおもな見どころ・見学場所のことをジオサイトというが、筑波山地域ジオパークには 26 のジオサイトがある。 筑波山に関係するものには筑波山山頂ジオサイトのほか、裾野の羽鳥酒寄・椎尾筑波山南麓峰寺山・十三塚などのジオサイトがある。 桜川中流ジオサイトも近い。このように、裾野にも多くの見どころがあり、それらを巡るトレッキングは筑波山の魅力の一つである。

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南麓の逆川低地から見た筑波山 width=

南麓の逆川低地から見た筑波山

Mt. Tsukuba viewed from the Sakasa-gawa Lowland at the southern foot

筑波山の植生分布概略図

筑波山の植生分布概略*1)

 典型的な双耳峰である筑波山を真南から望んだこの写真では、右の峰が最高峰の女体山(標高 877m)、左が男体山(871m)である。 若葉がまだ芽吹かない初春のこの時期には、ベージュ色の落葉樹林と濃緑の常緑樹林のコントラストが顕著で、高度に伴う植生の変化がわかりやすい。 頂上付近のベージュ色に見える落葉樹林はブナやミズナラなど冷温帯性の落葉広葉樹林(右の図のブナ林)で、ほぼ標高 700m 以上を占めている。 その下位にあって濃緑に見える一帯は、アカガシなどの常緑広葉樹とモミなどの常緑針葉樹の混合林(右の図のアカガシ+モミ林)である。 さらに下った標高約 300m 以下には、緩やかな地形の裾野(山麓緩斜面)がひろがり、そこにはコナラをはじめクヌギやヤマザクラなどからなるの広葉落葉樹林(右の図のコナラ林)が分布している。 コナラ林の中にも植林されたアカマツやスギ、あるいは筑波山裾野の暖温な気候を好むスダジイなど、濃緑の常緑樹林が点在している。
 写真右の道路はつくば道で、これが筑波山の昔の主な参詣路であった。つくば道は、この逆川低地の水田地帯を横断したあと裾野を上り、2つ見える白いビル(ホテル)の先にある筑波山神社まで続いている。

*1)ミュージアムパーク茨城県自然博物館(2010)原図に加筆。

2022年3月9日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 11 49.07, +140 5 37.62 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 10°

PanoraGeo-No.626

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筑波山南麓の緩斜面と丘陵 width=

筑波山麓の緩斜面と丘陵地

Footslope of the southern face of Mt. Tsukuba

 火山ではないのに裾野を張った山という点も筑波山の個性のひとつである。 南西麓の桜川に架かる禊橋(みそぎばし)からの筑波山は、目の前に男体山がそびえ、背後に女体山が控えている。 落葉したブナ林に覆われた男体山山頂部から濃緑の常緑樹林に覆われた中腹にかけては30度を超す急斜面であるが、その下に続き、写真中央部から右へ下る裾野は平均 10 度くらいの緩やかな斜面である。 4月初めのこの時期、この緩斜面の落葉性の雑木林(コナラ林)のところどころに咲くヤマザクラが単調さを破ってくれている。 深い谷も無くかなり平滑なこのような裾野は山麓緩斜面と呼ばれる地形である。
 これに対して、写真左半分の山麓は、やや深い谷と尾根からなる丘陵地で、裾野とか緩斜面とは言いにくい地形である。 一般に、富士山のように新しい火山では、山体全体が山麓緩斜面(裾野)に取り巻まかれているが、筑波山の山麓緩斜面(裾野)はこのような丘陵地を挟み、いくつかに分かれて分布している。 筑波山の山麓緩斜面は、南麓緩斜面、西麓緩斜面、北麓緩斜面、東麓緩斜面などに大別できる。 そのうちでは、この写真の南麓緩斜面がもっとも広い (資料:筑波山における山麓緩斜面の分布)。

2022年4月6日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 12 21.04, +140 4 19.13 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 66°

PanoraGeo-No.640

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筑波山の上から見たつくば道 width=

筑波山の上から見下ろすつくば道

Tsukuba Road looking down from the top of Mt. Tsukuba

 筑波山頂上部にある巨岩のひとつ、立身石の上から南方を望んだ景観である。 この地方では5月初旬に田植えが行われるので、田植え直後の水田の水面は反射して白く見える。 写真中央部を左右に伸びる低い丘陵を挟んで、向こうの広い水田地帯が桜川低地、手前が逆川(さかさがわ)低地である。 これらの水田地帯の整然とした区画は、七、八世紀ごろの条里制の地割を反映したものである*1)
 写真下部中央を縦に走る道路がつくば道で、逆川低地の水田地帯を横切った後、手前の緑豊かな筑波山の山麓緩斜面(裾野)を斜めに上って来る。その沿道には人家が続いている。 つくば道は、丘陵地の向こうの麓にある北条の町と筑波山神社を結ぶ道路で、徳川家光が筑波神社の前身、知足院中禅寺の堂舎の新築・改修のために新たに開いた道である。 全般的にかなり直線的なのは、主に木曾で調達した材木の運搬を容易にするためという。1918 年に筑波鉄道が開通するまでは、つくば道が筑波山の主要な参詣道であった。 現在、この道は、日本の道百選のひとつであり、関東ふれあいの道の一部であり、また、その大部分は茨城県道 139 号筑波山公園線である。 北条の町あるいは筑波山口バスターミナル(旧筑波鉄道筑波駅)を起点にして、裾野をつくば道で上る標高差約 250m のルートは、筑波山麓トレッキングの定番である。

*1) 野村康子(1977):常陸国桜川中・下流域の条里、歴史地理学会報 第89号。

1998年5月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 13 29.31, +140 5 57.28 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 184°

PanoraGeo-No.627

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筑波山神社石鳥居(一の鳥居)

つくば道と筑波山神社石鳥居

Tsukuba Road and the First Tori-i Gate of Tsukubasan-jinja Shrine

 つくば道を進み、筑波山の裾野を半分ほど上ったところに、この筑波山神社石鳥居がある。 六丁目の鳥居、あるいは、筑波山神社一ノ鳥居ともいう。 これより上が筑波山神社の神域である。鳥居を通して向こうに見える峰が筑波山神社の本殿がある東峰(女体山)で、その手前の白い建物は、つつじヶ丘から上って来る筑波山ロープウェーの女体山駅である。 筑波山神社の御神体は、この東峰(女体山、いざなみ)と西峰(男体山、いざなぎ)である。
 毎年4月1日と11月1日には筑波山神社例大祭である御座替祭(おざがわりさい)が開催される。 山頂の二つの本殿で神様の衣替えが行われる「神衣祭」(かんみそさい)と中腹の拝殿で舞いを捧げる「奉幣祭」(ほうべいさい)のあと、それまで着ていた衣(前衣)は小神輿で本殿からこの鳥居の脇につくられた仮宮にもたらされ、ここで大神輿に移される。大神輿はつくば道など氏子町内を渡御(とぎょ)して筑波山神社拝殿に向かう。 これがこの例大祭のクライマックスともいえる「神幸祭」(じんこうさい)である。
 ここまではアスファルト舗装だったつくば道も、勾配が増してきたここから上は、滑り止めの横溝が付いたコンクリート舗装になる。 急坂ではアスファルト舗装の仕上げ締固め用のロードローラーが使えないため、コンクリート舗装が採用されるという。 かつて、ここから上には階段が頻繁にあったが、それを均すように舗装された今では、緩急交互する波打った坂道が続いている。

2013年3月9日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 12 22.54, +140 5 48.11 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 31°

PanoraGeo-No.628

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筑波門前町付近のつくば道

昔の風情が残るつくば道の上部

Upper part of Tsukuba Road remaining the atmosphere of the old day

 筑波鉄道の開通(1918年)以前でつくば道が筑波山参詣の主なルートであった時代には、裾野を中ほどまで上ったところにある石鳥居(一ノ鳥居)あたりから上は、土産物店や旅館が並んだ門前町になっていた。 この門前町にはつくば道に沿って一丁から六丁までの六つの地区がある:「六丁目の鳥居」ともよばれる石鳥居の前後が六丁目、そこより 300m ほど上って西山通りが左に分かれるY字路より上が三丁目、風返し峠方面に向かう現在の県道42号から上が一丁目である。 このため、つくば道は六丁通りとも呼ばれる(参照:明治時代初期の筑波町
 つくば道が主要な参詣路でなくなった今、商店や宿泊施設があるのは一丁目だけである。 つくば道の大部分は生活道路になり、道路沿いの民家で自動車が使えるよう、ところどころにあった階段が均され、コンクリート舗装された。 しかし、二丁目より上はかなり急勾配なので階段が残り、この写真のような往時の面影を残した景観が見られる。

2013年3月9日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 12 40.74, +140 6 0.35 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 205°

PanoraGeo-No.629

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筑波山神社拝殿

筑波山神社拝殿

Haiden(Hall of worship)of Tsukubasan-jinja Shrine

 多くの人が参詣する筑波山神社は、筑波山南麓の裾野上端に近い標高 260m にあるこの拝殿である。 筑波山神社の御神体は筑波山そのものなので、本殿は女体山(東峰)と男体山(西峰)の頂にある。 かつてここには知足院中禅寺(筑波山中禅寺ともいう)の本堂(大御堂 おおみどう)があったが、1870 年(明治3年)、廃仏毀釈運動によって破壊・焼却されてしまった。 この拝殿はその跡に建造されたもので、1875 年(明治8年)に完成、1927 年(昭和2年)に改修されて現在に至っている。

マルバクス(丸葉楠)の葉

マルバクスの葉

 この神社の前身にあたる知足院中禅寺は、奈良時代の高僧、徳一大師(とくいつだいし)が 782 年(延暦元年)に創立したと伝えられる古い寺院である。 徳川幕府になると、江戸城の鬼門(北東方向)に当たる筑波山にあることから、城の安全鎮座を祈願する所として重要視されるようになった。 三代将軍家光の時代には、多くの堂舎が建造され、1634 年(寛永 10 年)に盛大な落成法要が行われた(参照:筑波山知足院中禅寺の境内図)。

 なお、写真の右寄りにある大木は、牧野富太郎博士によってマルバクス(丸葉楠)と命名されたクスノキの変種で、つくば市の天然記念物に指定されている。 普通のクスノキの葉は縦:横が 1:2.0 ~ 1:2.5 なのに対し、マルバクスの葉は 1:1.3 ~ 1:1.6 と丸みが強い。この木は筑波山神社と福岡県の太宰府天満宮に各1本知られているだけである。

2013年3月9日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 12 48.64, +140 6 3.89 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 70°

PanoraGeo-No.630

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つくば霞ヶ浦りんりんロード筑波休憩所

つくば霞ヶ浦りんりんロードの筑波休憩所

Tsukuba Rest Station on Tsukuba-Kasumigaura Ring-Ring Road

 つくば霞ヶ浦りんりんロードは、筑波山麓と霞ヶ浦湖畔をめぐる総延長約 180㎞ のサイクリングロードである。そのうち筑波山エリアの約 40㎞ は筑波鉄道筑波線の線路跡を利用している。 筑波線は常磐線土浦駅と水戸線岩瀬駅を結んでいたが、1987 年に廃線となった。写真は筑波線筑波駅のホームを利用したりんりんロード筑波休憩所である。
 筑波鉄道は、東京の迎賓館(旧赤坂離宮)建設に使われるなどで広く知られるようになった真壁石(花崗岩)の産地、真壁町(現在の桜川市真壁地区)の鉄道期成同盟会などによる運動が実を結んで 1918 年に開通した。 この鉄道は、真壁石の東京への搬出というおもな目的とともに、筑波山の観光開発に大きく貢献した*1)。従来の登山口である北条集落にも常陸北条駅ができたが、筑波山南西の裾野に接していて便利な筑波駅の方が筑波山の主な登山口となった。
 筑波鉄道廃止後の現在、ここは「筑波山口(つくばさんぐち)」という名のバスターミナルになり、土浦駅(1日 16 便、2022 年現在、以下同)、つくばセンター(=つくばエクスプレスつくば駅、28 便)、下館駅(7便)、岩瀬駅(13 便)などの路線バスが発着している。 「筑波山口」という名にもかかわらず、筑波山方面へのバスはここからは出ない。200m ほど離れた沼田バス停を通るつくばセンター発つつじヶ丘行きの筑波山シャトルバスを利用する必要がある。

*1) 長 秋雄(2013):筑波花こう岩と旧筑波町の歴史。GSJ地質ニュース Vol.3, No.6.

2013年3月9日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 12 22.54, +140 4 50.19 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 330°

PanoraGeo-No.631

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桜川の禊橋と北条堰

筑波山の麓を流れる桜川

Sakuragawa River flowing at the foot of Mt. Tsukuba

 桜川は筑波山の西の麓を流れて土浦市で霞ヶ浦に注ぐ延長約 64 ㎞ の小河川である。 写真左端に小さく見える白い橋は、桜川に架かる禊橋(みそぎばし)で、その東詰の交差点が、筑波山神社やケーブルカー乗り場、あるいはつつじヶ丘へ向かう車にとっての筑波山入口 (県道 42 号笠間つくば線の終点)である。禊橋の下流にある北条堰ゴム引布製起伏堰というタイプの堰で、俗にラバー堰、ゴム堰、あるいはバルーン堰などともよばれる。 取水期には、この写真のように空気で膨らませて背後に水を貯め、それ以外の時期には萎ませて河水が自由に流れるようにできる可動堰の一種である。 この堰の水は、筑波山麓桜川沿岸のブランド米、筑波北条米こしひかりを産する水田で使われる。
 堰の下流の河原には砂利(礫)がたまった中州がみられる。桜川の河原は一般に砂質で、砂利がみられるのは禊橋付近だけである。 この砂利は約3万年前にここを流れていた鬼怒川(古鬼怒川)の砂礫質堆積物で、鬼怒川の上流域をつくるチャート、グレイワッケ(硬砂岩)、流紋岩(縞状の流理構造がないと石英斑岩とされることもある)などのほか、日光火山群に由来する安山岩も含んでいる。 この中州の砂利は、禊橋上流の桜川流路を直線化する工事によって、桜川の堆積物の下にあった古鬼怒川の礫が出てきたものである。禊橋の周辺は桜川中流ジオサイトの核心地である。

2022年4月6日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 12 16.56, +140 4 22.32 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 36°

PanoraGeo-No.632

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椎尾山とつくし湖

筑波山西麓のつくし湖と椎尾山

Lake Tsukushi and Mount Shiio at the western foot of Mt. Tsukuba

 多数のカモが飛来して遊ぶこの水面は、筑波山西麓の小さな谷の源流部を、長さ 400m、高さ 27.4m のダムで堰き止めて造られた人造湖、つくし湖である。 一見、どこにでもある山池(やまいけ)タイプのため池のようであるが、そうではない。 正式名称は南椎尾調整池といい、霞ケ浦用水という大規模な用水システムの一施設である。
 スカイラインに見える右の峰は男体山(標高 871m)で、左は、筑波山第3の峰といわれる坊主山(710m)である。手前の山は椎尾山(256m)で、その中腹に歴史の古い椎尾山薬王院がある。 写真右端近くには、同寺院の三重塔の頂に立つ相輪が細い柱のように見えている。初冬 12 月末の椎尾山は、すでに落葉したコナラを主とする落葉樹、竹林(左下)、緑の濃いアカマツの植林(中央)などがモザイクをなしている。 また、前述の薬王院三重塔の手前に二つほど見える樹形が楕円形の常緑樹は代表的な椎の木、スダジイである。良く見れば、これの他にも何本もあるこの木は、椎尾山の名の由来である。

2003年12月28日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 14 24.85, +140 4 5.61 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 118°

PanoraGeo-No.633

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霞ケ浦用水の調整池、つくし湖

霞ヶ浦用水の調整池として造られたつくし湖

Tsukushi Lake built as a reservoir for Kasumigaura Irrigation Water

 霞ヶ浦用水事業は、霞ケ浦の水を汲み上げ、茨城県南西部 17 の市や町に農業用水、工業用水、水道用水を供給する事業である。 筑波トンネルを通って来た霞ヶ浦の水がこの写真手前のゲートからつくし湖に流れ出る。その後、写真向こうのゲートで送水管に取り込まれ、茨城県南西部の平野に広く配られる。 正式の名を南椎尾調整池と言われるように、つくし湖は霞ケ浦から送られて来る水と、これより下流へ流される水の量を調整する施設である。

Occarence of Gabbro in Mt. Tsukuba

筑波山の山頂部をつくっている斑れい岩はどちらの形?

 筑波トンネルの建設の際に、筑波山の地質について貴重な資料が得られた。 筑波山の地質は、頂上部が斑れい岩、山麓部が花崗岩類からなるが、この斑れい岩が、上の図の a) のように花崗岩類に貫入したものなのか、それとも b) のように、大規模に貫入してきた花崗岩類に取り込まれた捕獲岩なのかという問題が、長い間解決されないままであった。 1985 年に貫通した筑波トンネル南半部(1号トンネル)の壁面では、地表では土砂に覆われて見ることができなかった両岩石の境界部が詳細に観察でき、この問題の解決に役立った*1)。 境界付近では、斑れい岩に貫入した花崗岩質岩石の岩脈が多数あり、また、境界付近の斑れい岩は熱変成を受けていることがわかった。これは斑れい岩が花崗岩類より古いことを示しており、 b) の考えが妥当であることがわかる。

*1) 笹田政克ほか(1987): 筑波山斑れい岩と周辺の花崗岩類との関係についての新知見。 地質調査所月報 38-4 p.217-220.

1998年5月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 14 15.29, +140 4 20.90 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 261°

PanoraGeo-No.634

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椎尾山薬王院とスダジイの木

椎尾山薬王院とスダジイの木

Shiiosan Yakuōin temple and sudajii (Castanopsis sieboldii) tree

 椎尾山薬王院は筑波山西麓の標高 180 m 付近にあり、奈良時代末の延暦元年(782 年)に、地元関城町出身の高僧、最仙上人によって開基されたとされる寺である。 写真右上に一部が見える三重塔はこの寺のシンボル的存在で、茨城県指定文化財になっている。 成田山新勝寺の三重塔(国指定文化財)と同じ棟梁による同じ形式技法の建造物で、新勝寺のものより7年前の宝永元年(1704 年)に完成している。
 薬王院境内や裏山斜面の 2.6 ヘクタールは、スダジイをはじめとした豊かな樹林がひろがり、「椎尾山薬王院の樹叢(じゅそう)」として桜川市の天然記念物になっている。 また、茨城県の天然記念物「椎尾山薬王院のスダジイ樹叢」にも指定されている(参照:スダジイ開花期に撮影された椎尾山の衛星写真)。
 スダジイは、温暖な気候を好む常緑広葉樹で、日本では新潟県や福島県を北限として分布する。 筑波山周囲の平野は放射冷却によって冬季にかなり寒冷になるのでスダジイの群落は少ないが、筑波山山麓の標高 200~300 m には、平野より冬の最低気温が3~4℃高い斜面温暖帯が出現するため、スダジイの大規模な群落が成立しうる (参照:筑波山における斜面温暖帯)。

2002年5月11日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 14 7.46, +140 4 36.26 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 306°

PanoraGeo-No.635

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Makabemachi-Sakayori Orange Orcherds 真壁町酒寄のミカン園

筑波山裾野にひろがる真壁町酒寄のミカン園

Makabemachi-Sakayori Orange Orchards on the footslope of Mt. Tsukuba

 筑波山西麓の真壁町酒寄集落(桜川市)には多数のミカン園が見られる。 おもなミカン園は筑波山の西の裾野(西麓緩斜面)の標高 80m から 250 m くらいまでの間に分布し、秋には観光果樹園としてミカン狩りの客に開放される。 おもに温州ミカンであるが、一部に地元特産で極小粒の福来(ふくれ)ミカンも栽培されている。 気候温暖化の現在、宮城県南部でもミカンの栽培に成功したなどというニュースもあるが、これまでは温州ミカン栽培の北限はこの筑波山の裾野だと言われてきた。 筑波山周囲の平地は冬季に寒くなりすぎ、暖地性の作物であるミカンの栽培はできない。しかしそこより標高がやや高い筑波山の裾野には、平地より最低気温が3~4℃高い斜面温暖帯が形成されるため栽培可能である。 温州ミカンが栽培可能な気候は、年平均気温が 15℃以上で最寒月の最低気温(日最低気温の月平均)が-1℃以上、また、-8℃以下の低温にならないことなどとされるが、筑波山の斜面温暖帯はこの条件を満たしている。 ちなみに、つくば市の気象台(館野:筑波山南方 20 ㎞、標高 25 m)の平年値は、年平均気温 14.3℃、最寒月2月の最低気温-1.8 ℃で、この条件を満たさない。
 筑波山東麓、八郷盆地の十三塚や小幡(石岡市)などの山麓緩斜面にもミカン園はあるが、栽培地が標高数十mから 120m くらいまでという低いところにあり、斜面温暖帯のメリットを十分に利用できない。 このため、ミカンに特化せず、柿・梨・ブドウ・リンゴ・ブルーベリーなど、多様な果樹の栽培を特徴としている。

2014年11月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 13 50.73, +140 4 24.69 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 93°

PanoraGeo-No.636

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筑波山大御堂のスダジイ

筑波山南麓のスダジイ林を象徴する大御堂御神木

The Ohmido sacred tree symbolizing the sudajii forest at the southern foot of Mt. Tsukuba

筑波山植生概略図における南麓スダジイ林

 筑波山西麓の椎尾山薬王院付近と同様、南麓の筑波集落や筑波山神社を含む一帯にもスダジイ林がある(参照:衛星写真で見る筑波山南麓のスダジイ林)。 少なくないスダジイの大木の中でも代表的なのがこの樹高 20m の筑波山大御堂御神木(おおみどうごしんぼく)である。 樹齢 400 年と言われるので、江戸幕府三代将軍徳川家光以来の歴史を見てきた生き証人かもしれない: 筑波山大御堂は、奈良・平安時代の高僧、徳一大師(とくいつだいし)が創立した筑波山知足院中禅寺に由来するものであるが、江戸時代には徳川家光によってこの場所に壮麗な堂舎が造られ、多くの参詣人で賑わうようになった。
 しかし明治時代初頭の廃仏毀釈運動によって中禅寺は破壊され廃寺となり、その本堂であった大御堂のところには筑波山神社拝殿が造られた。 筑波山大御堂は、その後の 1930 年(昭和5年)に東京の護国寺の別院として再興された。筑波山神社の東を流れる千寺川(せんじゅがわ)沿いに仮堂が建設されたが、それは 1938 年(昭和 13 年)の土石流で大破。 1961 年(昭和 36 年)になって現在の位置に民家を移築した大御堂が造られ、2020 年(令和2年)に新たな本堂が完成した。二本のスダジイの大木の間に見える建物は本堂と一緒に完成した大御堂客殿である。

2022年11月25日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 12 45.00, +140 5 56.39  (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 70°

PanoraGeo-No.637

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四季の道の紅葉

筑波山、四季の道の紅葉

Autumn leaves along the Shiki-no-michi(Trail of Four Seasons), Mt. Tsukuba

「四季の道」は筑波山南西部の標高 230~270m あたりを、等高線にほぼ沿って伸びる遊歩道である。 植生概略図ではコナラ林とされる地帯に属すが、コナラばかりでなく、クヌギ、カシワ、ヤマザクラ、イロハモミジなどの落葉広葉樹やアカマツ、シラカシ、クスノキなどの常緑樹もある雑木林である。 春の桜、夏の緑陰、秋の紅葉など季節とともに変わる景色を楽しめるが、とくに、この写真の撮影が 12 月半ばであることが示すように、筑波山域では最も遅くまで紅葉を楽しめる所として、知る人ぞ知る穴場である。 筑波山の西~南斜面における 250m 前後の標高は、斜面温暖帯のど真ん中で(参照:筑波山における斜面温暖帯の図)、また、そのような斜面温暖帯が顕著に出現するのは 11 月ごろからであるということを考えると、ほかより冷え込む時期が遅くなる四季の道では、紅葉が遅くまで楽しめるということがうなづける。

2020年12月14日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 13 6.46, +140 4 58.07 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 105°

PanoraGeo-No.638

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Katakuri community カタクリの群生地

筑波山北側中腹のカタクリ群落

Katakuri (Erythronium japonicum) community in the middle of the north side of Mt.Tsukuba

 つくば道を「古道」という人が少なくないが、この道は江戸時代、徳川家光が筑波山中禅寺の普請のためにつくったもので、さほど古いものではない。 筑波山には少なくとも万葉の時代(奈良時代)あるいはそれ以前からの古道がある。 東方の石岡方面からの府中街道が有名であるが、北西麓の真壁町方面からの羽鳥道(真壁道)もそのような古道である(真壁市街郊外の羽鳥道登山口)。 現在の古道は、旧ユースホステルまで続くつづら折りの舗装道路でズタズタになっているが、北麓緩斜面の上を、山頂部の御幸ヶ原に向かって続いている。
 標高 500m 付近でこの道から東に分岐する林道を 1㎞ ほど行ったところに、桜川市営の筑波高原キャンプ場がある。 このキャンプ場内とその周辺、標高 700m くらいまでの一帯がカタクリの群生地である。キャンプ場のコナラなどの落葉樹の日差しの良い林床の落ち葉を分け、無数のカタクリの花が顔を出している。 筑波山には、御幸ヶ原にもカタクリの里とよばれる2ヘクタールほどの群生地があるが、このキャンプ場周辺の群生地は、さらに規模が大きく、おそらく10ヘクタールは優に超す範囲にひろがっている。 花期は3月下旬から4月中旬まで。

2014年4月8日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 14 3.96, +140 6 28.74 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り -°

PanoraGeo-No.639

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筑波山梅林

眺望絶佳の筑波山梅林

Mt.Tsukuba Plum Forest Garden with a great view

 茨城県の梅林というと、まず水戸の偕楽園が思い出されるが、近年、筑波山梅林も注目されるようになってきた。水戸の梅を「静の梅林」というなら、こちらは「動の梅林」である。 筑波山南面の裾野、標高 200~270 m、荒々しい巨岩が散在する 4.5 ヘクタールの斜面に、紅梅2割、白梅8割の約 1000 本の梅が植えられている。 平均傾斜 13 度というかなりきつい斜面で、上り下りするだけでも良い運動になる。 つくば市営(つくば市観光協会が運営)の梅林で、毎年、2月中旬から3月下旬まで開催される筑波山梅まつりの期間には多くの観光客でにぎわう。
 1966 年に筑波山観光開発の一環として梅の木が植えられ、当初は梅の実の採取・出荷も行われていた。 1974 年から筑波山梅まつりが始まったが、その後、人手不足で梅林の手入れが行き届かず荒廃しつつあった。 2005 年の東京・秋葉原とつくば市を結ぶつくばエクスプレス(TX)線の開通に先立ち、2000 年から数年にわたり、つくば市が筑波大学に依頼して筑波山梅林再生プロジェクト*1)を実施した。 木道などが整備され、梅の木の間伐や枝打ちによって見通しが良くなった。この写真のように、梅の背景に関東平野が一望できるのもこの梅林の自慢である。

*1) ウィキペディア:筑波山梅林

2013年3月9日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 12 55.92, +140 5 31.12 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 211°

PanoraGeo-No.643

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岩塊が散在する筑波山梅林

大小の岩塊が散らばる斜面につくられた筑波山梅林

Mt.Tsukuba Plum Forest Garden on the slope scattered with rock masses

 2002 年、筑波山梅林再生プロジェクトが始まったばかりで、梅の木の間伐や枝打ちが行われて、やや寂しい感じの梅林ではあるが、その分、無数の岩塊が散らばる緩斜面の状況がよくわかる。 また、写真右下隅に向かって流れる中ノ沢の小さな流路も見える。
 筑波山梅林はこの中ノ沢の沿岸、標高 200m から 270m にあり、斜面の傾斜は 13 度とかなり急であるが、ふもとの方に行くと8~9度と緩やかになる。 この斜面には大小さまざまな岩塊が半ば土に埋まった状態で散らばっており、その中には人の背丈よりも大きいものもある。これらの岩塊はすべて筑波山の中腹以上をつくる斑れい岩である。 このような大量の土砂や岩塊は、大雨などの際に中ノ沢上流で大規模な崩壊が起きたり、あるいは谷底にたまっていた大量の土砂と岩塊が一挙に流れ出したりして発生する土石流の産物である。 筑波山の山麓緩斜面(裾野)のほとんどすべてが、この梅林で見られるような傾斜の、土石流堆積物で覆われた地形である。
 中ノ沢の源流は男体山南面の険しい地形で、2014 年には小規模な崖崩れが起きて筑波山自然研究路が不通になった。 このような状況の中ノ沢の下流部に位置する梅林やその周辺の裾野は、茨城県の土砂災害(土石流)警戒区域等指定箇所になっている(参照:梅林と土石流警戒区域の地図)。 中ノ沢と同じ南麓緩斜面を流下する男女川(みなのがわ)、千寺川(せんじゅがわ)、又次沢などの沿岸も同様の指定を受けている。

2002年3月8日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 12 55.15, +140 5 29.01 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 112°

PanoraGeo-No.644

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自然の石庭、筑波山梅林

自然の石庭、筑波山梅林の緩斜面

Natural rock garden, gentle slope of Mt.Tsukuba Plum Forest Garden

 筑波山の緩斜面に散在する大小の斑れい岩の岩塊は筑波石と呼ばれ、庭石として利用される。筑波石が無造作に配置された筑波山梅林の緩斜面は、さながら自然の石庭である。 新鮮な斑れい岩は遠目では濃い灰色あるいはやや青みがった灰色であるが、長い間地表に露出していたものは、梅林のこの写真のように黒に近い褐色である。 鉄分が酸化し(錆び)たり埃や苔が付着したりしてこのような色になることを山サビといい、庭石にしてから年月が経て変色することは庭サビという。筑波石の表面は、川で採れる川石のようにスベスベではなくザラザである。 これは山で採れる山石に多い特徴で、石屋さんは野面(のづら)と呼んでいる。 筑波石の野面の微小な凸凹は、白色の斜長石(とくに斑れい岩に多いカルシウムに富む斜長石=灰長石)の粒子が輝石や角閃石より風化しやすいため、それが先に粘土化し取り去られてできる。
 土石流の自然の造形でできた石庭を飾る筑波石は土砂に半ば埋まっている。土砂に完全に埋まった岩塊も 少なくない。この大量の土砂はどこから来たものだろうか? 斑れい岩が風化しにくいという説に拘らなければ答えは簡単である。 大量の土砂は源流部にあった斑れい岩の風化物、すなわち斑れい岩のマサで、岩塊(筑波石)はコアストーン(核岩)と考えるのが自然である。

2013年3月9日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 12 54.95, +140 5 30.01 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 70°

PanoraGeo-No.645

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月水石神社

巨石をご神体とした月水石神社

Gassuiseki(Moon-Water-Rock) Shrine with a boulder as a deity

 筑波山南面の裾野(南麓緩斜面)の中ほど、標高150m付近に、この小さな月水石神社(がっすいせきじんじゃ)がある。 ご神体は、拝殿の背後、スダジイの木陰に黒く見える人の背より高い巨石である。拝殿の周りにも直径数十cmの岩塊が累々としている。 ご神体の巨石やその周囲の岩塊はすべて筑波山の上部をつくる斑れい岩、すなわち筑波石である。 この神社のすぐ東を男女川(みなのがわ)が流れている。百人一首で「筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる」と詠われた川である。 しかし、極めて小さい川なので、このような大きな岩塊を流して来る力はない。やはり、これらの岩塊は土石流として一挙に移動してきたものである。
 これらの岩塊は、あたかも川石であるかのように丸くなっている。これほど丸くはなくても、角が大なり小なり丸みを帯びているのが筑波石の特徴である。 どうして筑波石はこのように丸みを帯びているのだろう?  川石が丸いのは、長い間水流にさらされ、多数の砂礫と擦りあって磨かれた(水磨の)結果であるが、土石流として一挙に流下してきた筑波石にはそのようにして丸くなる暇はない。 もともと山頂部にあった時から丸かったと考えざるを得ない。 すなわち、この丸さは、地下深くまで風化した深成岩の岩体に多いコアストーンの丸さである。斑れい岩はそのような著しい風化はしないと考える「専門家」には信じられないことかもしれないが・・・。 本当に筑波山山頂付近にも丸い筑波石やマサがあるかどうか確かめるには、筑波山自然研究路へ行ってみるとよい。

2015年1月11日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 12 30.29, +140 5 36.69 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 10°

PanoraGeo-No.646

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筑波山麓の巨岩、夫女之石

筑波ふれあいの里にある巨岩、夫女之石(ぶじょがいし)

Bujogaisi, huge rocks in the outdoor training facility of Tsukuba Fureai-no-sato

 筑波ふれあいの里は、筑波山南面の裾野、南面緩斜面の東端にあり、豊かな自然の中で、児童や市民が体験によって農業に対する理解を深め、都市と農村の交流を図ることを目的としたつくば市の研修施設である。 その一隅にこの写真の夫女之石という二つの巨岩がある。 写真左の岩が男に、右の岩を女になぞらえられている。二つとも筑波山の高所にあった班れい岩の巨大なコアストーンが土石流の形で移動してきたものである。
 現在は雑木林の中にあるが、この一帯は、明治時代の地形図では樹木を欠いた荒地になっており、また江戸時代に書かれた「筑波山名跡誌」には芝原だったとの記載があるので、夫女之原(ぶじょがはら)と呼ばれる草原だったらしい。 常陸国風土記(721 年ごろ刊行)や万葉集(759 年)には、筑波山の裾野で春と秋の年2回、嬥歌(かがい)あるいは歌垣という行事が行われたという記述があるが、この夫女之原が舞台であったという説が有力である。 嬥歌は、男女が集まって求愛の歌を交わしてパートナーを見つけるという、今風に言えば、合コンとか婚活パーティーとも言える集まりであった。

2022年3月9日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 12 26.04, +140 6 40.32 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 162°

PanoraGeo-No.647

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酒寄ミカン園からの眺望

筑波山の裾野、酒寄ミカン園からの眺望

View from Sakayori Orange Orchards on the foot slope of Mt. Tsukuba

 筑波山の西の裾野にある酒寄ミカン園から西方の関東平野を望むと、眼下に白い橋が架かる桜川が北(右)から南(左)へ流れている。 写真左端の遠方で上がっている煙のすぐ右には小貝川水管橋がかすかに見えるので、そこから右に伸びる白い筋は小貝川沿いの水田地帯で、その手前をこれと並行して伸びる帯状の森林は筑波台地(武蔵野段丘相当)の北端部である。 筑波台地の麓から手前、桜川までの間は古里川低地とか協和台地と呼ばれる低位の河岸段丘(立川段丘相当)で、今から3万年くらい前には古鬼怒川が流れていたところである。

筑波山の裾野、西麓緩斜面の地形図

筑波山の裾野、西麓緩斜面の地形図*2)

 写真下半分はミカン園のある西麓緩斜面であるが、右端には、この緩斜面の北を限る丘陵地(椎尾山)の一部が見える。 この写真では見えないが、この丘陵地と緩斜面の境を熊の川という小川が流れている(左の地図参照)。 この川は男体山西面の急斜面を源流としており、西麓緩斜面に繰り返し土石流をもたらした二つの川の一つである。 もう一つは緩斜面の南にある大島三角点の丘の北麓を流れる川で、これも源流は男体山西面の急傾斜地である。 どういうわけか、二つの川とも山麓緩斜面と丘陵の境、すなわち丘陵の縁を流れている。 このような川で大洪水や土石流が発生すれば、丘陵の麓は洗われて削り取られる。 洪水流や土石流が川岸を削る形の侵食を側方侵食あるいは側刻と言うが、この場合では、側方侵食によって丘陵が削られ縮小する一方、山麓緩斜面はその分だけひろがることになる。 筑波山の広い山麓緩斜面(裾野)は、このような作用が何回も繰り返された結果出来たと考えられている*1)。  では、どうして川は丘陵地の縁を流れたがるのだろう? それについてはこちらをご覧ください。

*1) 池田 宏(2001):「地形を見る目」(古今書院)P.35-38。
*2) 地理院地図を原図にして地名、地形名(地質)などを補足。 赤い点線は写真 PanoraGeo-No.667 の範囲(画角)。

2019年11月17日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 13 49.97, +140 4 28.38 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 302°

PanoraGeo-No.667

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筑波山の西麓緩斜面

筑波山男体山と西麓緩斜面

Nantaisan-peak and gentle footslope of the western face of Mt. Tsukuba

筑波山西麓緩斜面

筑波山西麓緩斜面

Google Earth 2014 年3月の画像。地形が分かりやすいように、筑波湖上空 100m から見た立体画像とし、西麓緩斜面の範囲を黄色で示した。

筑波山の真西にある通称「筑波湖」という釣り堀から筑波山男体山を望んだもので、左の画像はこれと同じ範囲の説明用グーグルアース衛星写真である。
 この釣り堀はこの付近の水田や畑の下にある古鬼怒川の砂礫を採った砂利穴の名残である。 1963 年に鬼怒川などの川砂利の採取が禁止されたあと、この付近や現在のヒロサワシティー付近(筑西市)などにはこのような砂利穴が無数に掘られていた。
 男体山の山麓に見える小さな白い点々は酒寄のミカン園農家である。 このミカン園から右(南)へひろがる筑波山西麓緩斜面は右端の平たく丸い丘(大島三角点の丘)の麓に達し、傾斜約9度の直線的なプロファイルを見せている。 西麓緩斜面の左(北)には椎尾山、右には大島三角点の丘という、ともに花崗岩からなる丘陵地がある。 西麓緩斜面はこれらの丘陵の間の土地を浅く掘り込んでひろがっている。 地質的には、筑波山の他の山麓緩斜面と同様、斑れい岩の巨礫を含む土石流堆積物が花崗岩の基盤を覆って横たわっている。
 ふつう、土石流堆積物でできた地形と言えば沖積錐(土石流扇状地)という地形が第一に挙げられる(参考:土石流でできる典型的な地形)。 しかし、西麓緩斜面をはじめとした筑波山裾野の緩斜面は、土石流堆積物からできてはいても、沖積錐とは違うタイプの地形である (参考:沖積錐と筑波山山麓緩斜面の違い)。

2020年3月21日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 14 15.90, +140 3 18.78 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 118°

PanoraGeo-No.648

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稲葉酒造の酒蔵

筑波山麓にある稲葉酒造の酒蔵

Inaba Sake-brewery on the footslope of the Mt.Tsukuba

 筑波山南面の裾野(南麓緩斜面)の麓近くに、男女川(みなのがわ)という銘柄の地酒のメーカー稲葉酒造がある。 稲葉酒造では、この写真の酒蔵より 150m ほど斜面を上ったところにある敷地内の湧水を使って日本酒を仕込んでいる。 慶應3年(1867 年)の創業以来、男女川は御神酒として筑波山神社に奉納されている。
 筑波山の裾野は水に恵まれている。小川も枯れることはほとんどなく、至るところに浅い井戸や湧水が分布する(参照:筑波山のおもな湧水)。 花崗岩の基盤を覆う土石流堆積物の厚さは、局部的に 10m 以上のところもあるが、一般には数m程度と薄い*1)ので、それを帯水層とする地下水も浅く、低い崖などわずかな地形の変化でも泉となって湧き出す。 筑波山の山麓緩斜面は、厚い砂礫層からなるふつうの扇状地や沖積錐(土石流扇状地)とは違い、川や土石流が基盤を側方侵食してできたものなので、それをつくる砂礫層も厚くない。

*1) 磯部一洋(1990):茨城県筑波山・加波山周辺の緩斜面堆積物の形成について、P.366 の図9の ボーリング柱状図およびその説明などから判断。

2013年3月9日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 12 22.84, +140 5 12.49 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 86°

PanoraGeo-No.649

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筑波山麓の水車

筑波山麓で今でも動いている水車

Watermill still working at the foot of Mt. Tsukuba

 筑波山の北にある湯袋峠(ゆぶくろとうげ)を東に下ったところには、今でも元気に仕事をしている水車があり、杉線香を作るために杉の枯葉を粉にするのに使われている。 筑波山麓で現役の水車はこれだけであるが、水が豊富な筑波山麓では、かつてたくさんの水車が動いていた(参照:明治末期の筑波山の地図)。 それらの用途については、桜川市の出版物にある次の記述が参考になる: 「真壁町では菓子店もみられた。江戸時代の様子はよくわからないが、市内旧家に残された明治時代の古文書によると、「打物(うちもの)」と呼ばれる菓子が地元で作られていたことが分かる。 打物は「みじん粉」に砂糖を加えて型に入れて作る干菓子の一種で、有名なものに落雁(らくがん)がある。 材料となるみじん粉とは、もち米を精米して挽いたもので、明治時代から昭和 30 年代ごろまで筑波・加波山麓で渓流を利用した水車により製粉する業者が多数あったこともあって真壁町内には多くの菓子店があった。」*1)

*1) 桜川市歴史的風致維持向上計画(第2期)、p.64 .

1989年5月16日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 13 49.78, +140 8 23.11 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 290°

PanoraGeo-No.650

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Source of Tsukubasan Hot Spring in parking lots 駐車場の一角にある筑波山温泉の泉源

観光地筑波山の弱み:温泉と駐車場

Weaknesses of Mt. Tsukuba as a tourist spot: Hot springs and parking lots

 観光資源に恵まれた筑波山にも悩みはある。 その一つは温泉。東京からの日帰り客が主な筑波山ではあるが、できれば一泊してゆっくりして行ってもらいたい、というのが観光業者さんの願いだろう。そのためには温泉が欲しい。 有名な温泉はたいてい火山地帯にあるが、筑波山で火山的なのは裾野を引いた姿だけで、火山とは無関係。自然に温泉が湧く可能性はゼロに近い。 そこで地元の四つのホテルが協力して大深度ボーリングで温泉を求めた(2001年)。その結果、地下 1700m から泉温 27 ℃の弱アルカリ性単純泉が得られた。 温泉法で決められた 25℃以上なので確かに温泉ではある。この写真で、2020年に新装なった 大御堂(おおみどう)の裏の小さな駐車場の隅に立つ緑のタンクは「筑波山温泉」(双神の湯)と呼ばれるこの温泉の泉源である。 近くのホテル一つ以外、お湯はタンクローリーで運ばれる*1)。 このほか、筑波山麓にはもう一つの泉源がある。1974 年に 1353m のボーリングで得られた「筑波温泉」で、泉温 37~42 ℃のアルカリ性単純泉である。 水量が少なく一つのホテルが使う分しかないが、このホテルが筑波山麓で唯一の源泉かけ流し温泉宿である。
 もう一つの弱みは駐車場。筑波神社やケーブルカー乗り場がある南麓緩斜面上部の筑波地区には、四つの市営駐車場(合計:普通車約 450 台、バス約 20 台)とこの写真のような小規模な民営駐車場が若干あるが、ハイシーズンの休日にはすぐに満杯になり、麓からの県道 42 号には駐車場待ちの車の長蛇の列。 ライバル?の高尾山のようにケーブルカー乗り場まで電車で行けるのとは違うので、筑波山は車で来る人が多い。しかし考えてみれば、高尾山ではケーブルカーに乗るのに2時間待ちなどということがある。 渋滞が起こる場所が違うだけのこと。人気観光地の宿命と諦めるべきかもしれない。

*1) 薮崎志穂ほか(2007):名水を訪ねて(77)筑波山の名水、地下水学会誌 49-2, p.164.

2022年11月25日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 12 48.04 +140 5 58.61 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 202°

PanoraGeo-No.651

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筑波山麓より東京を遠望

筑波山梅林からの東京遠望

Distant view of Tokyo from Mt.Tsukuba Plum Forest Garden

高層ビルを遠望した時の見え方

ちょうど地平線の位置にある高層ビル(図のTw2)は明るい空をバックに本来の高さに見え、もっとも迫力がある。 地平線より遠いビル(Tw1)は下層階(Xの部分)が地平線の陰に隠れて見えないので低く見える。 地平線より手前のビル(Tw3)は下層階(Yの部分)が暗い地面と区別できないので高層階だけの低いシルエットになる。
算数がお好きな向きは こちら (エクセルファイル)へもどうぞ。

 初冬の午後、筑波山梅林の標高 225m にある見返り縁台展望台から南西を望んだ景観である。 右半分が東京の下町、左半分が千葉県東部である。具体的な地名は こちら の展望案内図で確かめられたい。
 弱い寒冷前線の雲が茨城を通過中で、すでに通過した東京の空には雲がない。 逆光を受け、無数の高層ビルが明るい空をバックにシルエットになっている。 筑波山から東京のビル群を迫力ある形で見ようと思ったら、見る場所の高さを考慮しなければならない。 頂上から見れば何にも邪魔になるものがないので最高ではないかと思うかもしれないが、話はそう簡単ではない。 結論から言うと、頂上よりは裾野の方が良く、標高では 200m から 300m が良い。 とくに、この写真のように、東京の高層ビルが本来の高さに浮き出して見えるのはこの高さに限られる。その理由は下の図の通りである。 すなわち、地球は丸いので、展望する高さによって地平線までの距離は異なる。 高いところで見るほど地平線は遠くなる。下の図のTw2のように、地平線までの距離が東京と一致する高さで見るのがベストである。 それより高くても低くても、高層ビルの高さは減じて迫力のない景観になる。 「裾野も楽しい筑波山」、ここに極まれり、である。

2020年12月14日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):+36 12 51.67, +140 5 24.48 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 198°

PanoraGeo-No.652

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Uploaded on January 31, 2023