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28. 途方もない大河、アマゾン川をたどる
Follow the immense river, the Amazon

2024年12月22日 増補改訂

アマゾン川流域水系網

アマゾン川流域水系網

Drainage network of the Amazon River




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 長さではアフリカのナイル川に及ばず、もしかすると長江(揚子江)にも負けるかもしれないアマゾン川も、流域面積や流量では群を抜いて世界一の川である。 険しいアンデス山中の河谷を流れる最上流部、平坦な低地に出て蛇行した流路を刻々と変化させる上流部、著しく深い流路を流れる中流部、 大小の島々を散りばめたエスチュアリー(三角江)から大西洋に注ぐ下流部(河口部)など、性格を変えながら流れ下るこの大河を、上流から下流へたどってみる。

この新版水系図について: M. Gouldingほか(2003)”The Smithsonian Atlas of the Amazon (Smithonian Books) P.101 の水系図を基図として、主要河川を強調表現し、主要都市と地名を補充して作成。 また、流水の一部がネグロ川上流のカシキアレ川に分流するオリノコ川上流部を破線で追加した(2024/12/29アップロード、旧版水系図は こちら)。



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アマゾン川をたどる 1 /21
アンデス山中を流れるマラニョン川

アンデス山中を流れるマラニョン川

Río Marñón flowing through the Andes

アマゾン川上流部の水系

アマゾン川上流部の水系












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 ペルーの北東部の都市イキトスの南で、二つの大きな支流が合流してアマゾン川になる。ひとつはウカヤリ川、もう一つがこのマラニョン川である。 マラニョン川の上流はアンデス山脈の西山系(西コルディレラ)と中央山系(中央コルディレラ)を分ける縦谷(山脈の走る方向に並行した谷)の中を北流する。 写真はこの河谷の右岸の斜面中腹(標高 3450m)から下流方向を望んだもので、谷底の標高は 3100m、遠くに見える山をはじめこの付近の山の頂は 4200m ほどである。 ペルーアンデスの高度帯区分では、人口の密なケチュア帯の上部からスーニ帯にあたり、谷底から標高 4000m 近くまでの谷斜面には、全面的に斜面畑がひらかれている。 ここより 70~80km 上流に、マラニョン川の源流で、むかしはアマゾン川の源流とも考えられていたラウリコチャ湖がある。

1986年7月28日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-9 51 8.40, -76 36 56.74 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 305°

PanoraGeo-No.399




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アマゾン川をたどる 2 /21
ウカヤリ川上流のアンデスに聳える名峰、サルカンタイ山

ウカヤリ川上流のアンデスに聳える名峰、サルカンタイ山

Nevado Salcantay (or Mt. Salkantay), a famous peak in the Andes in the upper reaches of the Ucayali River












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 アマゾン川上流の二つの大きな支流で、マラニョン川と並ぶもう一つの支流がウカヤリ川である。 ウカヤリ川は熱帯雨林に覆われた低地をアンデス山脈東麓沿いに 1500㎞ あまり流れるが、その上流は、アンデス山中を流れる二つの支流、アプリマック川ウルバンバ川からなっている。 この写真のサルカンタイ山は、アンデス東山系ビルカバンバ山塊に深い谷を刻んで流れるこの二つの川の分水界に聳えている。 サルカンタイ山の南面(写真手前)がアプリマック川の流域で、向こう側にウルバンバ川の深い谷がある。ウルバンバ川に向かって伸びる尾根の北端付近には、インカの遺跡として有名な観光地マチュピチュがある。 サルカンタイ山の海抜標高 6271m(一説には 6264m)は、ペルーの山岳の中で 14 位であるが、周囲からの突出程度を示すプロミネンスという指標は、ペルー最高峰のワスカラン山(標高 6768m)の 2776m に次ぐ 2540m で、登攀が容易でない山であることを示している。
 これまで、「アマゾン川の源流」(アマゾン水系最長流路の始点)はペルー南部のアプリマック川上流にあるとされてきた。 しかし、近年、アマゾン川の源流はこれとは遠く離れたペルー中部のマンタロ川上流部にあるという見解が出され、一部で注目されるようになった*1) (参照:アマゾン川の源流はどこか?その1

*1) たとえば、CNN.co.jp (2023.12.10 posted): 世界最長はアマゾン川? 国際科学者チームが長さを再測定へ

2011年9月15日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-13 25 31.34, -72 30 40.11 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 333°

PanoraGeo-No.238




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アマゾン川をたどる 3 /21
アンデス山脈マンタロ川上流域

アンデス山脈マンタロ川上流域

Upper Mantaro River Basin in the Andes Mountains












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 リマ発イキトス行きの飛行機の窓からアンデス山脈を北望した。 左上にはペルーの最高峰ワスカラン山(6768m)があるブランカ山脈が遠方に、手前の画面左端近くにはペルー第二の高峰イエルバハ山(6635m)などの白峰が見える。 これらのアンデス山脈西山系の山々は、太平洋へ注ぐ川とアマゾン川流域の分水界なので、それより東を写したこの写真はすべてアマゾン川流域で、その支流マンタロ川の上流部である。 今回のグーグルアース衛星画像を用いた計測によって、この地域にアマゾン川の源流(河口から流路に沿って最も遠い地点)があることが再確認された。
 写真上部に小さく見える平地は、標高 4100m に広がるボンボン高原(メセタ・デ・ボンボン Meseta de Bombón)で、その南部をペルーではチチカカ湖に次いで二番目に大きいフニン湖(チンチャイコチャ湖 Laguna Chinchaycocha ともいう)が占めている。 アマゾン川の源流はこのボンボン高原かそれを取り巻く山地のどこかにあるはずである(参照:アマゾン川の源流はどこか?その2)

19811年7月9日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-11 34 16.19, -76 14 21.90 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 335°

PanoraGeo-No.738




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アマゾン川をたどる 4 /21
アマゾン川源流があるフニン市東方の山地

アマゾン川源流があるフニン市東方の山地

Mountains east of Junín City, where the headwaters of the Amazon are located












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 フニン湖(チンチャイコチャ湖)の南にある町フニンから東方を望むと、高地草原に覆われたなだらかな丘の向こうに、いくつかに岩峰が顔を出している。 フニン平原*1)の東を限るアンデス中央コルディレラ(中央山系)の高い峰々であるが、標高 4100m のフニン平原からはさほど高くは見えない。 中央やや左に目立つのはリスパンガ山と呼ばれる岩峰で、この PanoraGeo がアマゾン川の水源と認めたチピアン山(Cerro Tipián、標高 4751m)もこのような岩峰である。 この写真の右端から写真2枚分くらい右のなだらかな丘の向こうにチピアン山が見える(参照:ストリートビューで見えるアマゾン川水源点チピアン山
 手前のなだらかな丘は、氷期にこれらの高峰から流れて来た氷河が残したモレーンで、大小さまざまな砂礫や岩塊からなっている。 イチューグラスの草原のところどころに大きな岩塊が顔を出している。 ペルーの高度帯ではプーナ帯にあたるこの高地草原は、おもに放牧地であるが、一部にジャガイモ畑もある。

*1) フニン平原(Pampa de Junín)は、ボンボン高原の一部で、フニン湖の南東に広がる平原。 1824年、ペルー独立戦争の勝利を決定づけた「フニンの戦い」があったところ。この戦いを記念するチャカマルカ・オベリスクが聳えている。

1986年7月27日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-11 9 50.10, -75 59 20.12 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り  55°

PanoraGeo-No.739




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アマゾン川をたどる 5 /21
顕著な蛇行河川、ウカヤリ川

顕著な蛇行河川、ウカヤリ川

Remarkable meandering river, Río Ucayali












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 アマゾン川上流部の二大支流のひとつであるウカヤリ川が流れるアンデス山脈の東山麓は、地質的にはアンデスの前縁盆地、地形的には南米大陸の中央低地帯とよばれる地帯である。 現在でも沈降傾向にあるきわめて平坦な土地のため、ウカヤリ川は広い氾濫原の中を右へ左へと大きく蛇行し分流しながら流れる。 その全区間、この写真のような顕著な蛇行河川であるため、実際の流路の長さは、蛇行がないと仮定した場合の約2倍にもなる。
 ウカヤリ川と呼ばれる区間は、アンデスから流れ下るタンボ川(アプリッマク川最下流部の呼び名)とウルバンバ川の合流点の町アタラヤからマラニョン川合流点までで、その長さは約 1500km ある。 しかし、ウカヤリ川のような蛇行河川はとくに 流路の移動・変形が激しく、川の長さは常に変化している。 たとえば、写真の一番手前にある大きな蛇行のくびれた部分でショートカット(カットオフ:切断)が起これば、流路長は一挙に 10㎞ 以上も短くなる。 1998 年版のグーグルアース衛星画像を使って計ったウカヤリ川の長さは 1564km あったが、2019 年には 1549km、2024年 には 1534㎞ になっていた。
   したがって、アマゾン川全体の長さも一定ではなく、はっきりした数字で示しても意味がない。 行く行くは、気温や降水量のように、30 年平年値という形で表記するようになるかもしれないが、目下のところは「アマゾン川:6288㎞(2024年)」のように、計測した資料の画像取得年あるいは測量年を付記するのが一つの方法だろう。

1981年6月29日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-5 53 26.22, -74 24 6.66 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 255°

PanoraGeo-No.400




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アマゾン川をたどる 6 /21
ウカヤリ川と2種類の支流

ウカヤリ川と2種類の支流

Ucayali River and two types of tributaries












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 真の左上に見える太い川が、アマゾン平野の熱帯雨林の中を蛇行しながら流れるウカヤリ川で、写真の左辺が上流、上辺が下流である。 屈曲がかなり進み、左上の部分では上流と下流の流路がかなり接近している。 このような部分を蛇行流路の頸(くび)あるいは頸状部(ネック)とよび、さらに屈曲が進むと、ここで流路の切断(カットオフ)が起こり、元の流路は三日月湖などの蛇行痕跡になる。
 このウカヤリ川本流に、2本の支流が写真の下方から来て合流している。 白っぽい色をした右の支流(白い川)は細かく蛇行している。蛇行の細かさ(波長や振幅)は川幅とおおよその関係があり、川幅の小さい川はそれなりに蛇行の波長や振幅も小さい(一般に、蛇行の振幅、すなわち蛇行帯の幅は、川幅の 10~25 倍である)。 これに対して、水が黒っぽいためためあまり目立たない左のもう一本の支流(黒い川)は、ほとんど蛇行していない。この違いはなぜ起こるのか?  おそらく、川が運んでいる砂礫の量が関係していると思われる。 蛇行に限らず、川幅を変えずに川が水平移動するには、一方の河岸が侵食されるとともに他方の河岸には堆積が起こる必要がある。 もし、上流から砂礫が流れて来ないような川があったとしたら'他方の河岸の堆積'は起こらないから、川が水平移動することはなく、当然、蛇行もしない。 砂礫が流れて来ないという、一見、非現実的な条件の川、これが「黒い川」なのかもしれない。 理由はどうあれ、白い川の流路変動は活発であるが、黒い川の流路は安定していることは事実である(参照: ウカヤリ川本支流の流路変化、1981-2012年)。 黒い川の右岸に見えるかなり広い森林伐採地は、この事実を知った地元民の畑か牧場であろう。

1981年7月9日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-10 23 1.75, -73 56 6.87 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 333°

PanoraGeo-No.30




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アマゾン川をたどる 7 /21
ペルー・イキトス付近のアマゾン川(1981年)

ペルー・イキトス付近のアマゾン川(1981年)

The Amazon near Iquitos in Peru (1981)












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 イキトスは、アマゾン川上流部、ペルー・セルバ(森林)地方、レロート県の中心都市で、2017 年の国勢調査人口は 38 万であったが、近年の成長著しく、22 年には 50 万に近い人口になっている。 写真は、イキトス市街地の北端部分とそれに沿って北(写真上方)へ流れるアマゾン川である。 ここより 120km 上流で二大支流、ウカヤリ川とマラニョン川が合流してアマゾン川になる。 アマゾン川の水は多量の土砂を含んで褐色に濁っている。褐色であっても、土地の人たちはこのタイプの川を「白い川」とよんでいる。 これに対し、写真左手から合流するナナイ川の色がアマゾン川とは若干異なるのが見て取れる。 この川は土砂をほとんど含まず澄んだやや黒味を帯びた水が流れる「黒い川」である。 このあと 20 年余りのうちに、この地域のアマゾン川の流路が驚くべき変化を遂げるのは、 2005 年のイキトスとアマゾン川の衛星写真が示すとおりである。

981年6月27日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-3 44 52.31, -73 14 34.55 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 10°

PanoraGeo-No.222




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アマゾン川をたどる 8 /21
ペルー、イキトスの氾濫原集落

ペルー、イキトスの氾濫原集落

Floodplain settlements in Iquitos, Peru












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 この写真を撮影した 1981 年には、アマゾン川は、ペルーアマゾンの中心都市イキトスの市街地に沿って流れていた。 イキトスの市街地の大部分は台地の上にあるが、南部には低地(氾濫原)にも貧しい人たちが住む住宅地がひろがっている。 この写真遠方の無数の家が集まっているところがそのような氾濫原集落である。 家があるところもその左の水面もアマゾン川の氾濫原である。撮影した6月は高水期のため、氾濫原はあふれてきたアマゾン川の褐色に濁った水に浸っている。 氾濫原の家々は、高水期のこのような浸水に備えて浮き家になっている。 その後の流路変更によって、アマゾン川がイキトスの市街から離れ、市街に沿う水面は湖になった。 その湖に注ぐイタヤ川(Río Itaya)は、アマゾン川のように泥で褐色に濁った川ではなく、やや透明であるが、タンニンなどを含んで黒ずんだ色の川、すなわち「黒い川」である。 したがって、イキトス市街が面する湖も、今では黒っぽい水に変わっている (参照:イキトス市付近におけるアマゾン川の流路変更)

1981年6月29日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-3 44 34.78, -73 14 26.29 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 190°

PanoraGeo-No.401




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アマゾン川をたどる 9 /21
低水期のイキトス氾濫原集落

低水期のイキトス氾濫原集落

Iquitos floodplain settlements in the low water period












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 ペルーアマゾン地方の中心都市イキトスの市街南部ベレン地区の氾濫原とそこにできた集落を、前のページの PanoraGeo-No.401 の写真(1981 年6月撮影)とほとんど同じ位置から、1986 年8月に撮影したものである。 1981 年の写真で水面だったところがすべて緑の草原になり、別世界という感じの変化である。 この変化は、1981年の写真の撮影が6月、この写真が8月という季節の違い、それに伴った、アマゾン川の水位の変化によって生じたものである。 右のグラフで見られるように、わずか2カ月という短い期間に、アマゾン川の水位は4~5mも低下する。 イキトスにおけるアマゾン川の水位の年変化は平均して 8.4m とかなり大きく、最高水位は5月、最低水位は9月に現れる。 水位の低下は上昇よりはるかに急速である。アマゾン中流部のマナウス市における水位変化(詳しくはこちら参照)にも同様な傾向があったが、イキトスの場合にはそれが一層顕著である。 地元の農民は土地の肥えた氾濫原での耕作にもっとも力を入れる。 水位が急速に下がり、土地が水の下から次々に現れる6月と7月にさまざまな作物を急いで蒔き、徐々に水位が上がる9月から 12 月にかけてそれらを”のんびりと”収穫する*1)

*1) Hiraoka, M.(1985): Floodplain Farming in the Peruvian Amazon. 地理評58-B.
*2) Goulding, M.ほか(2003):The Smithsonian Atlas of the Amazon.

1986年8月13日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-3 45 1.18, -73 14 34.05 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 190°

PanoraGeo-No.402

マナウスとイキトスの水位年変化

マナウスとイキトスの水位年変化*2)




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アマゾン川をたどる 10 /21
ソリモンエス川と川中島

ソリモンエス川と川中島

Solimões River and alluvial islands












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 ブラジルでは、アマゾナス州の州都マナウス市でネグロ川と合流する以前のアマゾン川本流をソリモンエス川とよび、それより下流がアマゾン川である。 写真は、ネグロ川と合流する直前のソリモンエス川で、よく見ると、写真の遠方左寄りに黒ずんだ色の水面があるが、そこがネグロ川との合流点である。 アマゾン水系全体の水の約半分がソリモンエス川からもたらされ、残り半分が、これより下流で合流するネグロ川、マデイラ川、タパジョス川、シングー川をはじめとした支流群から流れ込む。 ソリモンエス川は、写真のように、典型的な泥で濁った川(現地では「白い川」という)で、この豊富な泥が堆積することによって氾濫原が形成される。 写真の中央から左にのびるマシャンタリア島、その向こうのシボレナ島、その右のカレイロ島などの川中島は、川沿いの自然堤防と内側の後背湿地からなっており、単なる川の中州ではなく、氾濫原と同質のものである。 撮影の3月は水位上昇途上の時期で、これより6月まで続く水位上昇に伴い、氾濫原の浸水が進み、湖沼などの水面は大幅に拡大する。

2006年3月15日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-3 18 37.92, -59 58 57.38 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 33°

PanoraGeo-No.172




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アマゾン川をたどる 11 /21
アマゾン中流部の中心都市マナウスの港

アマゾン中流部の中心都市マナウスの港

Port of Manaus, the central city of the middle Amazon












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 アマゾン地方の庶民の一般的な交通手段は水上交通で、アマゾン川はそのメインストリートである。 アマゾン中流部の中心都市マナウスの港では、アマゾン川本支流沿岸の港へ行くたくさんの定期船が出航を待っている。マナウスからの定期船は、大別して3つのルート(航路)に分けられる。 アマゾン川本流(ソリモンエス川)を溯り、ペル-・コロンビア国境のタバチンガまでの航路、アマゾン川を下って河口部のベレンまでの航路、そして支流のマデイラ川を溯り、ポルトヴェーリョまでの航路である (参照:マナウス発定期船の行き先と料金)。 途中の都市に寄港しながら、これらのターミナルまで行く長距離便も週に1~2便あるが、多くは途中の港を往復する中距離の定期船である。 マナウスにおけるアマゾン川水位の年変化は平均して10mと大きいので、この写真で船が繋がれているオレンジ色の桟橋は、水位と共に上下する浮き桟橋である。

2005年3月10日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-3 8 27.39, -60 1 25.04 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 142°

PanoraGeo-No.403




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アマゾン川をたどる 12 /21
マナウス・ベレン航路定期船の乗客

マナウス・ベレン航路定期船の乗客

Passengers on a regular ship in the Manaus-Belém Route












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 マナウスからベレンへの定期船は、昔も今も、最速3泊4日、流れに逆らうベレンからマナウスは4泊5日である。 比較的大型の定期船のばあい、通常運賃の8割増しくらいの料金を出すと、リージョナルクラスからツーリストクラスに格上げになり、ベッド付の3~4人部屋や写真のような上甲板を利用できる。 リージョナルクラスの乗客はハンモックを持ち込み、自分で吊って寝なければならない。 前日の夕方にマナウスを出て一夜明け、朝食後の船は、パリンチンス市郊外の農業集落モカンボ地区の沖を航行していた。 次の寄港地パリンチンス市街までは約3時間。左岸には写真のような台地(テラフィルメ)、右岸に広大なツピナンバラーナ島の氾濫原を見ながら、船はアマゾン中流部を下って行く。

1981年7月12日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-2 26 11.19, -57 21 30.62 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 328°

PanoraGeo-No.404




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アマゾン川をたどる 13 /21
アマゾン中流部レマンソ岬と狭窄部

アマゾン中流部レマンソ岬と狭窄部

Cape Remanso and constricted portion in the middle Amazon












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 パリンチンス市街西方約 70㎞ のモカンボ地区沖を、アマゾン川が写真左上から下に向かって流れている。 緩やかにカーブした流路の内側(右岸、写真では左)には自然堤防に縁取られたツピナンバラーナ島の氾濫原がひろがっている。 カーブの外側の岸(左岸、写真の右)では、アマゾン川が、直接、台地(テラフィルメ)の裾を洗っているが、その一部に、レマンソ岬(ポンタドレマンソ、Ponta do Remanso)が角状に突出している。 このため、この部分のアマゾン川は、幅約2㎞の狭窄部になっている。 このような狭窄部では、当然、幅が狭い代わりに水深は大きく、レマンソ岬沖の水深は 91m にもなる。 ここに限らず、アマゾン中流部の川底は深く、普通でも 60m くらい、深いところでは 100m を越すような深みもある(資料:アマゾン川の深さと速さ

2002年8月14日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-2 42 33.80, -57 11 27.37 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 329°

PanoraGeo-No.405




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アマゾン川をたどる 14 /21
レマンソ岬と河岸崩壊地

レマンソ岬と河岸崩壊地

Cape Remanso and the river bank collapse












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 アマゾン川に突き出したレマンソ岬付近一帯の台地をつくるのは、アルテルドシャン層とよばれる中生代白亜紀後期の陸成の砂岩や泥岩層である。 一般に、あまり固結度の高くない地層であるが、その中に局部的にやや硬い層があると、このレマンソ岬のような突出部ができる。 アマゾン川の激しい侵食によって、岬の尖端から上流側の河岸には、垂直な露岩の崖が続き、ところどころに、写真のような崩壊地ができている。 このような崩壊で生じた土砂は、アマゾン川の流れで運ばれて、近くの河床や河岸に堆積し、河床変化の要因となる。 中流部まで下ってくると、アマゾン川の運搬物質も河岸をつくる物質も泥(粘土やシルトなどの細粒物質)が中心になる。 このような川は一般に川幅に対して深さが大きく、また流路変化を起こすことも少ない、いわば「おとなしい川」である。 アマゾン川中流部は、本質的にはそのような川であるが、方々で台地を削って、河床変動を起こす原因となる砂などの粗粒な物質の供給を受けるため、完全に「おとなしい川」になりきれずにいる。

2002年8月11日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-2 27 23.80, -57 20 1.22 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 73°

PanoraGeo-No.408




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アマゾン川をたどる 15 /21
アマゾン中流部、レマンソ岬下流の川中島

アマゾン中流部、レマンソ岬下流の川中島

Alluvial islands downstream of Remanso Cape, middle of the Amazon

レマンソ岬下流のアマゾン川

レマンソ岬下流のアマゾン川
(赤線は写真の範囲)












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 アマゾン川が写真左上から右下に向かって流れており、写真左上隅近くの左岸には、角状に突出したレマンソ岬が見える。 その対岸、写真の左から下にかけてのアマゾン川右岸には、氾濫原湖や水路などの水面の多い氾濫原がひろがり、6月という高水期なので、一部の水面は、アマゾン川の濁り水が流れ込んで褐色になっている。 アマゾン川は、レマンソ岬の下流で幅が急にひろがり、いくつかの川中島を挟んで流れている。 右の地形図によれば、川中島は、北から、アルコ島(Ilha do Arco)、オンサス島(Ilha das Onças)、マリーニョ島(Ilha Marinho)に大別されるが、一番南(手前)のマリーニョ島は高水期にあたるこの時期には、大部分が水没していて、高い部分だけがバラバラに顔を出している。 これらの川中島を分ける水路のうち、地形図で RIO AMAZONAS (アマゾン川)と記載されている一番手前の水路が、谷線(Thalweg、最も深い部分)があるアマゾン川本流で、それ以外は副次的な流れである。 このような副次的な流路のことをこの地方ではパラナー(Paraná、側流)とよんでいる。 アマゾン中流部では、上流部でみられるようなドラスティックな流路変化(たとえば こちら)はないが、川中島の成長・消滅のような河床変化は頻繁に生じている (参考: 川中島の変化)。

1981年6月27日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-2 47 46.54, -57 13 54.38 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り  357°

PanoraGeo-No.406




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アマゾン川をたどる 16 /21
分流・合流を繰り返すアマゾン川

分流・合流を繰り返すアマゾン川、でも網状河川ではない・・・

The Amazon, branching and merging, but it is not a braided river












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 アマゾナス州東部、パリンチンス市西方、モカンボ地区のアマゾン川を上流を向いて撮影したものである。逆光の水面が白く反射して美しい。 アマゾン川は分流と合流を繰り返し、分流した流路の間に川中島を抱きながらな流れている。 このようなタイプの川を英語ではアナストモージング・リバー(Anastomosing river)という。 Anastonosing の原型の Anastomosis は、日本語では吻合(ふんごう)と訳される医学用語で、血管などの管状器官をつなぐ手術のことや、血管などが分岐収斂している状態を意味している。 後者の意味の吻合は血管、とくに静脈に多くみられ、たとえば、手の甲や二の腕の表面には、不規則な網状に分岐収斂しながら走る青い静脈がみられる(人が多い)。 このような形態の川が「アナストモージング河川」であるが、適当な日本語がない。「吻合河川」では何のことかわからないし、「血管河川」「静脈河川」は不気味。 「網の目状河川」が良さそうだが、これには「網状河川」(Braided river)という似た先輩がいて、割り込むのは難しい。 50 年前くらいまで、両者は一括されていたが、今では全くの別物ということになっている1)。詳しくは、こちら を参照してください。

*1) Makaske, B.(2001):Anastomosing rivers: a review of their classification, origin and sedimentary products.

2002年8月14日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-2 42 24.96, -56 59 19.72 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 313°
写真中心位置:-2 28 37.40, -57 15 4.64 (Google Map)

PanoraGeo-No.397




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アマゾン川をたどる 17 /21
パリンチンス港に寄港したヨーロッパからのクルーザー

パリンチンス港に寄港したヨーロッパからのクルーザー

A cruiser from Europe that called at the Port of Parintins












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 アマゾナス州の東の端にあるパリンチンスは、人口でこの州第二の都市である。 とは言え、人口は州都マナウスの約 1/20、約 11 万にすぎない。この小都市の桟橋に、ヨーロッパからの観光客を乗せたかなり大型の観光船が接岸している。 毎年6月末にこの都市で行われる牛祭りをなぞらえたショーを見物するためである。 観光船のおもな目的地はマナウスであるが、地方振興を考えた州の要請による寄港とのことである。 パリンチンス市街の前のアマゾン川の深さは 98m と非常に深いので、約2万トンのこのクラスの船が航行するのに何ら問題はない。 これより上流のマナウス港には、9万トンのクイーンヴィクトリア号が入港したこともある。 ただ、アマゾン川の濁った水面下には浅瀬が隠れているところもあり、とくに大型船は油断できない。

2005年3月9日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-2 37 21.23, -56 43 55.55 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 267°

PanoraGeo-No.407




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アマゾン川をたどる 18 /21
サンタレンにおける「水の会合」

サンタレンにおける「水の会合」

'Encontro das Aguas'('Water Meeting') at Santalém












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 写真遠方に見えるのはパラ州西部の都市サンタレンの市街である。この都市はアマゾン川とタパジョス川の合流点に立地している。 タパジョス川は、ブラジル高原を源流とする多くの川と同じく、流送土砂の少ない澄んだ水の川である。 サンタレン市の沖合で、この澄んだ水と泥で濁ったアマゾン川の褐色の水が混ざり合う「水の会合」が見られる。 マナウスにおけるネグロ川の「黒い水」とアマゾン川の濁った「水の会合」は有名であるが、サンタレンのものもこの写真のようになかなかの壮観である。
 近年、この川の上流にあるマトグロッソ州からアマゾンの河岸へ通じるクイアバ・サンタレン道路が全線にわたって舗装された。 サンタレンに穀物メジャーカーギル社の大規模な穀物ターミナルがある。 ブラジル最大の産地であるマトグロッソ州の大豆が、この道路を使ってサンタレンに運ばれて輸出されるようになった。

1981年8月10日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-2 24 42.67, -54 42 46.54 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 154°

PanoraGeo-No.737




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アマゾン川をたどる 19 /21
アマゾン川とパラ川をつなぐ天然の運河

アマゾン川とパラ川をつなぐ天然の運河

Natural canal connecting the Amazon River and the Pará River












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 アマゾン中流部のマナウスを出て船中3泊後の朝、目が覚めるとベレンへ向かう定期船は速度を緩めてマラジョー島の西を北から南に流れるタジャプル水路(Furo do Tajapuru)を通過している。 すでに、アマゾン河口部である。タジャプル水路はアマゾン川本流とその南を並流するパラ川を結ぶ天然の運河である。 このようにひとつの川と別の川相互をつなぐ水路や川と湖沼をつなぐ水路のことを、現地ではフーロ(Furo)とよんでいる。 マラジョー島の西には、タジャプルー水路をはじめ、2、3本の水路が分流と合流を繰り返しながら流れて、マラジョー島と本土を隔てる水路地帯をつくっている(参照:アマゾン河口部の衛星写真)。 ベレン・マナウス航路の船は、これらの水路のうち最も近道のタジャプル水路を利用することが多い。 沿岸には住宅が点々と並び、カヌーで住民が行き来している。水路の水が褐色に濁っているのは、アマゾン川の濁水が大量に流入してくるためである。ここまで来ればベレンまではあと1日だ。

1981年7月14日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-1 21 53.61, -50 48 8.39 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 180°

PanoraGeo-No.398




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アマゾン川をたどる 20 /21
アマゾン川河口部水路地帯のデルタのような地形

アマゾン川河口部水路地帯のデルタのような地形

Delta-like topography of the Canals Zone, Amazon River Mouth Region












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 アマゾン河口部、マラジョー島の西にあり、本土とこの島をへっだてる数本の水路(フーロ)を空から南望した写真である。 左上の広い水面は、パラ川と呼ばれてはいるが、実際にはマラジョー島の南を限る南エスチュアリーの最奥部である。 エスチュアリー(三角江)の湾奧に注ぐ川が土砂を堆積してデルタ(三角州)をつくることがある。これをエスチュアリーデルタ(Estuarine Delta、日本語では三角江三角州?)という。 カリフォルニア湾の奥に注ぐコロラド川のデルタなどはその例。 いくつもの水路が走るこの写真の低地も、アマゾン川(写真手前の枠外)から分かれた川が土砂を堆積して南エスチュアリーの奥につくったエスチュアリーデルタであるという説がある。 アマゾンの自然に関する著名な研究者ハラルド・シオリ Harald SIOLI は、アマゾン河口部の中で「本当」のデルタと言えるのはこの部分くらいであると言っている。 アマゾン河口部、とくに北エスチュアリーには、多数の島がありその間を水路が網の目のように走っている衛星写真参照。 これがエスチュアリーデルタの例にされることが多いが、それは違うと彼は考えている。 本当のデルタは現在そこを流れる川が堆積した新しい土砂からなり、高さも川の水面とは大きく違わない低地、すなわち氾濫原(ヴァルゼア)のはずであるが、マラジョー島はもちろん、このエスチュアリーの中の多くの島はそうではないからである。 これは卓見である。しかし、この地域の 25 万分の1や 10 万分の1の地図が発行された現在、この水路地帯もデルタかどうか怪しくなってきた。 これらの地図には、ところどころに独立標高点が表示されており、この写真に写っている範囲の島々には 21m、25m、31m、最も高いところでは 40m という表記がある (参考:25 万分の1地図)。 すなわち、これらの島々は、マラジョー島西部や本土の海岸部と同じ小起伏の台地(テラフィルメ)であって、洪水のたびに冠水して土砂が堆積するようなデルタの中州(デルタ島)ではないと考えざるを得ない。 従って、アマゾン河口部には大規模なデルタは無いということになる。

1993年8月8日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-1 44 0.37, -50 33 8.99 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 160°

PanoraGeo-No.410




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アマゾン川をたどる 21 /21
パラ川(南エスチュアリー)とマラジョー島

パラ川(南エスチュアリー)とマラジョー島

Pará River(Southern Estuary)& Marajó Island












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 南北に分かれたアマゾン河口部のエスチュアリー(三角江)のうち、南エスチュアリーの奥の部分をパラ川、外洋に近い部分をマラジョー湾という。 川と湾の境界は明確なものではないが、写真はそのマラジョー湾に近いパラ川からマラジョー島を望んだものである。 パラ川の上流も、またそれに注ぐ大河トカンチンスも、土砂の少ない澄んだ水を流す川であるが、マラジョー島の西を通る水路群を通じてアマゾン川の濁り水が流入するため、ここでは褐色に濁った水になっている。 この付近で川幅は 15km ほどあり、川というより湾に近いが、淡水である。
 後方、マラジョー島の低く平坦なスカイライン中央部のわずかな低まりは、島から流出する大きな川の河口があることを示しており、航行の重要な目印である。

1993年8月1日撮影  カメラの位置 (緯度,経度):-1 39 31.33 -49 3 24.13 (Google Map)  撮影方向:北から時計回り 350°

PanoraGeo-No.41


Revised and amplified on December 22, 2024